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長崎市観光 [息抜き]

2012年10月25日(水)雨
長崎市内観光part1

あぁあぁあぁ~長崎ぃ~は、今日も雨ぇだった~♪
朝から土砂降りです。宿で寝ていよかなと思ってしまいますが、気を取り直して出発です。

8時前に宿を出て、長崎駅の観光案内所へ。
観光案内所は8時からの営業です。ここへ歩いてくるだけで、タルタルの靴です(ハライチ風)。路面電車1日乗車券(500円)と長崎さるくのコースマップをもらって、観光スタートです。

まずは、長崎市で一番見たかった、龍馬ゆかりの地を巡ることに。
長崎駅前からバスに乗って、風頭山で下車。約20分の乗車で、料金は160円です。長崎駅前のバス停が分かりにくかったですが、観光案内所の人が親切に教えてくれました。ありがとうございます。

バスを降りて風頭公園を目指します。
観光案内所では、長崎さるくのコースマップ(無料)があって大変便利です。さるくとは長崎弁で、街をぶらぶら歩くとゆう意味です。さるくコースになっているところは、道標があるので迷うことはないです。

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風頭公園にある、坂本龍馬之像です。高さ4.7mあります。
はためいているのは、海援隊の旗です。ソフトバンクのロゴの元になっています。

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龍馬通りです。
亀山社中の同士たちが闊歩した道です。同士たちには、長崎の街の眺めは、どんなふうに映っていたのでしょうか。

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若宮稲荷神社です。
坂本龍馬や幕末の志士たちが多く参拝したことで知られています。何を祈ったのでしょうか。境内には坂本龍馬之像の原型がありますので、こちらも見逃せません。

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亀山社中資料展示場です。
こちらは、土日祝のみの開館です。残念。

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龍馬のぶーつ像です。
大きさは60cmで、実際に足を入れることができます。

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長崎市亀山社中記念館です。入場料は300円です。
亀山社中は、龍馬が結成した日本最初の商社です。当時の間取りがそのまま再現されています。龍馬に関する建物は、京都、高知と沢山ありますが、当時の建物が残っているのは、ここだけと龍馬姿の館員の方が、説明してくれました。

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掛け軸は、この記念館の名誉館長の武田鉄矢さん寄贈のものです。

外に出たら、雨が小降りになっていました。

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龍馬通りを下っていきます。
風頭公園は標高152mありますので、結構な下り坂となります。長崎が坂の街だとゆうのが実感できます。

長崎は、龍馬ゆかりの地なので、全国の龍馬ファンが集まってきます。そんなファンが集う焼き鳥さんがあると宿の人に教えてもらいましたが、小ファンくらいの私は恐れ多くて、よう行きませんでした。

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下ってきて、興福寺の見学です。
長崎市内の唐寺を代表する寺院です。入場料は300円です。

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氷裂式組子の丸窓です。
氷裂式組子は文字通り氷を砕いたような文様で大変珍しいものだそうです。氷裂式組子は明末期を代表する建築様式で、現在の中国でもこれだけ大きく巧緻なものは残っていないそうです。組子とは、釘を使わずに木を組み付ける技術のことです。

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眼鏡橋です。
興福寺の二代目住職、中国江西省出身の黙子如定禅師が架けたと伝わる現存最古のアーチ形石橋で、築造は寛永11(1634)年です。川面に映る姿と合わせるとメガネのように見えることから眼鏡橋と呼ばれています。雨が降っているので、ちょっとぼやけた眼鏡です。

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この橋の近くには、20個近くのハートストーンがあります。
修学旅行の小中高生たちが、必死のパッチで探していました。あと一つ見つかれへんけど、おっちゃん知らん?と聞かれましたが、私は一つしか見つけられませんでした。

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昼食は、長崎ケンミン食の茶碗蒸しにしました。蒸しずしとのセットを頼みました。お茶碗の大きさは、直径13cmあります。1260円ですが、路面電車の1日券を見せたら1割引きになります。ラッキーです。

お味は、お出汁が美味しく舌ざわりがなめらかで美味しいです。具も豊富に入っています。
ごちそうさまでした。

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長崎新地中華街です。
店は40店ほどの小さな中華街です。長崎は、修学旅行生がむっちゃ多くて、修学旅行割引をやっている店が多かったです。

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中華街を通り抜けて、唐人屋敷跡です。
唐人屋敷は、鎖国時代の江戸元禄期につくられた中国人居留地です。

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昔ながらの銭湯です。
風情があります。

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天后堂です。
元文元年(1736)に南京地方の人々が航海安全を祈願し、天后聖母を祀ったのが起源といわれています。明治39年(1906)に改修されています。

当時は、2000人を越える中国人が、この場所に暮らしていました。
現在、揉めていますが、なんとか仲良くやっていって欲しいものです。

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オランダ坂です。
居留時代、外国人がよく歩いた道をオランダ坂と呼んでいました。

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東山手十二番館です。
明治元年(1868)頃に建設され、東山手居留地に残る洋館では最古の建物です。ロシア領事館、アメリカ領事館、メソジスト派の宣教師住宅として使用されました。ドラマ「仁」のロケも行われました。

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東山手洋風住宅群です。
明治20年代後半頃、洋風に似せて建てられた外国人向けの賃貸住宅です。7棟ありますが、洋風住宅が集中して残っているところは他に無く非常に珍しく貴重なものです。

路面電車で浦上地区へ移動します。

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国立長崎原爆死没者追悼平和記念館です。
地下2階の追悼空間前室で、心を静めてから追悼空間に入ります。
空に向けてのびる12本の柱は、平和を願う気持ちを表しています。原子爆弾の投下により亡くなられた方々の冥福を祈り、核兵器による惨禍を二度とくり返さないことを祈念いたしました。

その隣には、長崎原爆資料館があります。
戦争に関する資料等を見ると、背中がぞわぞわして寒気がとまらなくなるのですが、修学旅行の小学生が、ぎゃあぎゃあゆうてるので少し救われました。

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原爆落下中心地です。
昭和20(1945)年8月9日、午前11時2分にB29が落とした原子爆弾は、この上空500mで炸裂しました。原子爆弾は、必ず爆発するように4つの仕掛けがあったそうです。7万4千人もの、夢や希望が一瞬にして奪われ去ってしまいました。

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平和の泉です。
黒い御影石があり、次のように刻まれてます。
  のどが乾いてたまりませんでした 
  水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました 
  どうしても水が欲しくて
  とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
                ―ある日のある少女の手記から

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平和公園です。
高く天を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は世界の平和を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っています。

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浦上天主堂です。
キリスト教の禁制が解かれ、信仰の自由を得た人々が30年の歳月を費やし、大正14(1925)年に「祈りの家」が完成しました。原爆で破壊されましたが、昭和34(1959)年に再建、昭和55(1980)年に改装して往時の姿に復元しました。

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夜の長崎新地中華街です。
食事は、この近くの路地にあるお寿司屋さんに行きました。
長崎は漁獲量が多く、魚がとっても美味しいです。魚とお寿司と、長崎の地酒を美味しく頂いて、長崎の夜は更けていきます。龍馬に乾杯!


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