カキ食べ放題・岡山ワイナリーと和気神社 [国内旅行]
2016年1月27日(水)曇
冬は美味しい物が多くて、寒いのは嫌いですが、食いしん坊には嬉しい季節です。
とゆうわけで、カキの食べ放題ツアーに行きます。
高速道路を使うと、いつも宝塚の当たりで渋滞するのですが、この日は珍しく渋滞が無くスムーズに行きました。途中、お茶の試飲に立ち寄りましたが、店は露天で寒空の中で30分も長居するのは辛く、それやったら出発を遅くして欲しかったです。
さて、本日のメインのカキ食べ放題です。
カキといえば、海沿いの店を想像していたのですが、店は山の中で意外でした。
焼ガキが美味しそうです。
焼ガキ以外にも、カキしゃぶ、カキコロ煮、カキフライ、カキ飯、カキカレーも食べ放題です。
一度蒸してあるので温もれば食べられます。
焼は時間がかかりますが、カキしゃぶにしてジャンジャン食べました。
今回のツアーは、飲み放題でもあります。
ビール、焼酎、酎ハイ、ウーロン茶、オレンジジュースが飲み放題です。
ビールは発泡酒かなと思っていましたが、ちゃんとしたビールでした。
酒飲みには、嬉しい企画です。
60分の制限時間で、カキは200個くらい食べて、お腹いっぱいで大満足です。
レストランの裏手には、窯があります。
登り窯です。
備前焼です。
釉薬を使わないで土を焼き締めるだけのシンプルな焼き物です。
バスで移動して、岡山ワイナリーです。
サッポロビールが経営しているワイナリーです。
葡萄も栽培しているのかなと思っていましたが、栽培は別の所で生産だけしています。
入口のところには、綺麗なステンドグラスがあります。
ローマ神話の酒神バックスかな?
ここのワイナリーで作られた、プライベートラベルです。
ふぐとワイン、合うのかな?
工場の中は、写真撮影禁止でした。
見学を終えると、お楽しみ試飲タイム(無料)です。
岡山らしく、桃やマスカットを使ったワインもありました。
マスカットのワインは美味しかったです。
プレミアムワインの有料試飲もあったのですが、係員の人がいなくて飲めませんでした。
残念。
またまたバスで移動して、和気神社です。
和気清麻呂公の像です。高さ4.63mの青銅製で、原型の石膏像は故朝倉文夫氏の作です。
古くは和気氏一族の氏神として遠祖 鐸石別命(ぬでしわけのみこと)が祀られ、和気神と称せられていました。天正19年(1591)に数町川下にあった社殿が大雨で流されたため、現在地に遷座しました。
ゆるキャラ、わけまろくんとフジコちゃんとタンタンです。
狛犬ならぬ、狛いのししです。
清麻呂公は、道鏡一味に追われながら、宇佐八幡宮に参詣しようとしました。
すると、どこからともなく、約三百頭の猪が突然現われて、清麻呂公を守護し無事にご案内したとゆう故事(「日本後紀」巻八)によります。また、足が萎えて歩けなくなっていたところ、猪に案内され「霊泉」に足を浸けるとたちどころに足がもとのとおり治り、歩けるようになりました。
以来、猪は清麻呂公の随身、また足腰の守護として崇められ、狛犬がわりに「狛いのしし」が守護するようになりました。
本殿です。
明治18年より順次建替えられたことは棟札によって確認できています。
大工棟梁は、邑久郡の「田淵耘煙斎勝義」です。
明治の建築とはいえ、邑久大工の代表的な建築様式であり、装飾彫刻類もすばらしく、和気町指定文化財になっています。
春になると大きな藤棚を目当てに来る人も多いそうです。
冬はバスの駐車場代は無料ですが、藤の頃は3000円になるそうです。
カキをタラ腹食べてガンガン飲んで、珍しい神社も見られて、結構な旅でした。
冬は美味しい物が多くて、寒いのは嫌いですが、食いしん坊には嬉しい季節です。
とゆうわけで、カキの食べ放題ツアーに行きます。
高速道路を使うと、いつも宝塚の当たりで渋滞するのですが、この日は珍しく渋滞が無くスムーズに行きました。途中、お茶の試飲に立ち寄りましたが、店は露天で寒空の中で30分も長居するのは辛く、それやったら出発を遅くして欲しかったです。
さて、本日のメインのカキ食べ放題です。
カキといえば、海沿いの店を想像していたのですが、店は山の中で意外でした。
焼ガキが美味しそうです。
焼ガキ以外にも、カキしゃぶ、カキコロ煮、カキフライ、カキ飯、カキカレーも食べ放題です。
一度蒸してあるので温もれば食べられます。
焼は時間がかかりますが、カキしゃぶにしてジャンジャン食べました。
今回のツアーは、飲み放題でもあります。
ビール、焼酎、酎ハイ、ウーロン茶、オレンジジュースが飲み放題です。
ビールは発泡酒かなと思っていましたが、ちゃんとしたビールでした。
酒飲みには、嬉しい企画です。
60分の制限時間で、カキは200個くらい食べて、お腹いっぱいで大満足です。
レストランの裏手には、窯があります。
登り窯です。
備前焼です。
釉薬を使わないで土を焼き締めるだけのシンプルな焼き物です。
バスで移動して、岡山ワイナリーです。
サッポロビールが経営しているワイナリーです。
葡萄も栽培しているのかなと思っていましたが、栽培は別の所で生産だけしています。
入口のところには、綺麗なステンドグラスがあります。
ローマ神話の酒神バックスかな?
ここのワイナリーで作られた、プライベートラベルです。
ふぐとワイン、合うのかな?
工場の中は、写真撮影禁止でした。
見学を終えると、お楽しみ試飲タイム(無料)です。
岡山らしく、桃やマスカットを使ったワインもありました。
マスカットのワインは美味しかったです。
プレミアムワインの有料試飲もあったのですが、係員の人がいなくて飲めませんでした。
残念。
またまたバスで移動して、和気神社です。
和気清麻呂公の像です。高さ4.63mの青銅製で、原型の石膏像は故朝倉文夫氏の作です。
古くは和気氏一族の氏神として遠祖 鐸石別命(ぬでしわけのみこと)が祀られ、和気神と称せられていました。天正19年(1591)に数町川下にあった社殿が大雨で流されたため、現在地に遷座しました。
ゆるキャラ、わけまろくんとフジコちゃんとタンタンです。
狛犬ならぬ、狛いのししです。
清麻呂公は、道鏡一味に追われながら、宇佐八幡宮に参詣しようとしました。
すると、どこからともなく、約三百頭の猪が突然現われて、清麻呂公を守護し無事にご案内したとゆう故事(「日本後紀」巻八)によります。また、足が萎えて歩けなくなっていたところ、猪に案内され「霊泉」に足を浸けるとたちどころに足がもとのとおり治り、歩けるようになりました。
以来、猪は清麻呂公の随身、また足腰の守護として崇められ、狛犬がわりに「狛いのしし」が守護するようになりました。
本殿です。
明治18年より順次建替えられたことは棟札によって確認できています。
大工棟梁は、邑久郡の「田淵耘煙斎勝義」です。
明治の建築とはいえ、邑久大工の代表的な建築様式であり、装飾彫刻類もすばらしく、和気町指定文化財になっています。
春になると大きな藤棚を目当てに来る人も多いそうです。
冬はバスの駐車場代は無料ですが、藤の頃は3000円になるそうです。
カキをタラ腹食べてガンガン飲んで、珍しい神社も見られて、結構な旅でした。
姿ズワイガニ食べ放題と湯村温泉 [国内旅行]
2015年12月22日(火)曇時々晴
1月のカニ食べ放題では、うまく食べられなかったので、上手なカニの食べ方を調べてからの旅です。
バス1台での出発でしたが、2つのツアーの合同バスでした。なかなか催行が決まらず、カニ食べ放題は人気がなくなってきているのかもしれません。二人掛けのところに一人で座れたので楽でした。
途中、1回の休憩を取って、海産物のお店に寄ってから食事会場へ。
目の前には、カニがデーンと鎮座ましましています。
係の人がカニの食べ方を説明してくれましたが、前に座っていたおじさんは説明も聞かずにムシャムシャとカニを食べてはりました。よっぽどカニの食べ方に慣れているのでしょう。
カニの足を途中で折って身を出すとゆう方法なのですが、半分くらいは身が出てこなくて、もっとええやり方があるのかもしれません。
50分の制限時間いっぱいに食べましたが、7杯くらいしか食べられませんでした。まだまだ食べ足りませんでした。前に座っていたおじさんは、盛んに悪いカニやとボヤいていました。まぁ、値段なりかなとは思います。
食事会場は、鳥取砂丘のすぐそばです。
35年ぶりに来ましたが、その時は大きいなぁと感じたのですが、今回はそんなに大きく感じませんでした。歩いたら感じ方が違うとは思いますが、時間がなかったので砂丘を眺めるだけです。
バスで湯村温泉へ移動。
荒湯です。
温泉卵を作ったり、足湯を楽しむことが出来ます。足湯は大きくて30人くらい入れそうです。
夢千代像です。
パンフレットなんかでもよく見る風景ですが、綺麗とは感じないです。
夢千代館です。
夢千代日記に使用した舞台セットや小道具が展示されているそうです。
夢千代館の前には、記念写真の顔ハメ看板がありました。
お姉さんに写真を撮ってくれと頼まれました。私の顔は物を頼みやすい顔なんでしょうかね。
湯村温泉はもっと大きな温泉街と思っていたのですが、こじんまりとしていました。
正福寺です。
伝教大使最澄上人がおよそ1200年前(延暦25年・806)に創立した天台宗の流れを汲むお寺です。
夢千代の歌碑がありました。
「雪深い土地(ここ)に優しい人いて ひそかに一重の夢を織っている 夢千代日記」
昭和56年冬 早坂暁
夢千代日記は見ていませんでしたが、人気だったんでしょうね。
湯村温泉のゆるキャラ、湯〜たんです。
温泉に浸かりながら、湯たんぽを持って?います。
再びバスで移動。途中、三田で休憩です。
18時前ですが、当たりは真っ暗です。
かねふくのめんたいパークです。
めんたいパークは、茨城県の大洗と愛知県の常滑、そしてここ神戸三田と全国に3つあります。
ここは今年の3月に出来たばっかりです。工場見学も出来るのですが、時間が遅くて見られませんでした。
忘れていましたが、もうすぐクリスマスとゆうことで、サンタと雪だるまがいてました。
1月のカニ食べ放題では、うまく食べられなかったので、上手なカニの食べ方を調べてからの旅です。
バス1台での出発でしたが、2つのツアーの合同バスでした。なかなか催行が決まらず、カニ食べ放題は人気がなくなってきているのかもしれません。二人掛けのところに一人で座れたので楽でした。
途中、1回の休憩を取って、海産物のお店に寄ってから食事会場へ。
目の前には、カニがデーンと鎮座ましましています。
係の人がカニの食べ方を説明してくれましたが、前に座っていたおじさんは説明も聞かずにムシャムシャとカニを食べてはりました。よっぽどカニの食べ方に慣れているのでしょう。
カニの足を途中で折って身を出すとゆう方法なのですが、半分くらいは身が出てこなくて、もっとええやり方があるのかもしれません。
50分の制限時間いっぱいに食べましたが、7杯くらいしか食べられませんでした。まだまだ食べ足りませんでした。前に座っていたおじさんは、盛んに悪いカニやとボヤいていました。まぁ、値段なりかなとは思います。
食事会場は、鳥取砂丘のすぐそばです。
35年ぶりに来ましたが、その時は大きいなぁと感じたのですが、今回はそんなに大きく感じませんでした。歩いたら感じ方が違うとは思いますが、時間がなかったので砂丘を眺めるだけです。
バスで湯村温泉へ移動。
荒湯です。
温泉卵を作ったり、足湯を楽しむことが出来ます。足湯は大きくて30人くらい入れそうです。
夢千代像です。
パンフレットなんかでもよく見る風景ですが、綺麗とは感じないです。
夢千代館です。
夢千代日記に使用した舞台セットや小道具が展示されているそうです。
夢千代館の前には、記念写真の顔ハメ看板がありました。
お姉さんに写真を撮ってくれと頼まれました。私の顔は物を頼みやすい顔なんでしょうかね。
湯村温泉はもっと大きな温泉街と思っていたのですが、こじんまりとしていました。
正福寺です。
伝教大使最澄上人がおよそ1200年前(延暦25年・806)に創立した天台宗の流れを汲むお寺です。
夢千代の歌碑がありました。
「雪深い土地(ここ)に優しい人いて ひそかに一重の夢を織っている 夢千代日記」
昭和56年冬 早坂暁
夢千代日記は見ていませんでしたが、人気だったんでしょうね。
湯村温泉のゆるキャラ、湯〜たんです。
温泉に浸かりながら、湯たんぽを持って?います。
再びバスで移動。途中、三田で休憩です。
18時前ですが、当たりは真っ暗です。
かねふくのめんたいパークです。
めんたいパークは、茨城県の大洗と愛知県の常滑、そしてここ神戸三田と全国に3つあります。
ここは今年の3月に出来たばっかりです。工場見学も出来るのですが、時間が遅くて見られませんでした。
忘れていましたが、もうすぐクリスマスとゆうことで、サンタと雪だるまがいてました。
金沢 紅葉狩りと美術館巡り [国内旅行]
2015年11月24日(火)曇一時雨
今年の紅葉狩りは、どこにしようかなと考えていましたが、友達と相談して金沢にしました。
20日から29日まで、ライトアップされるので、それに合わせての出発となりました。
大阪駅から特急サンダーバードに乗って、2時間44分で金沢に到着。
天気予報通り、曇っています。
まずはバスに乗って、石川県立美術館へ。
入場料は360円です。
なぜ、ここへ来たかとゆうと、以前から見たかった野々村仁清の「色絵雉香炉(いろえきじこうろ)」が見たかったのです。
手前が「色絵雉香炉」です。国宝です。(写真撮影は禁止なので、絵ハガキを撮影しました)
思っていたより大きいです。色彩が鮮やかで美しいです。
奧側は「色絵雌雉香炉(いろえめすきじこうろ)」です。こちらも野々村仁清作で、重要文化財です。
雌は元は個人で所有されていたのですが、雄と一緒に並んでいるのがいいと寄贈されて並んで展示されるようになりました。奇特な方に感謝です。
外に出たら雨は小振りになっていて今回の旅のメイン、紅葉狩りに兼六園に向かいます。
今年の秋は冷え込みが弱くて、紅葉はイマイチかなと思っていましたが、その通りでした。
色づいかないままに散ってしまっているところもあります。
綺麗なところを見ながら、カメラにパチリパチリと収めていきます。
天気が悪く、色づきも悪く、腕も悪いので、なかなか思ったような写真は撮れませんでしたが・・・。
いったん、ホテルにチェックインして、1月に食べられなかった金沢おでんに再チャレンジです。
ホテルの近くのおでん屋に行ってみました。
開店して30分ほどだったのですが、最後の席でギリギリセーフでした。
ロールキャベツとバイ貝です。
バイ貝は金沢おでんらしいネタです。富山では刺身で頂きましたが、おでんでも美味しいです。
こちらはカニ面です。
香箱ガニという小さいカニの甲羅に、カニから取り出した身やミソ、内子を詰めて蒸し、おでんのだしで煮たものです。注文を聞いてから作るので、1時間近く待たされました。予約したほうがベターです。カニ面が食べられるのは、11月初めから12月末までですので、ご注意を。
冷酒をもらったのですが、黒帯とゆう銘柄でした。
初めて聞く日本酒だったので、大将に石川のお酒ですかと尋ねたら、モチロン!と怒ったように言われました。そんな言い方せんでも、ええのに。ちょっとヘンコな大将です。
おでんもお酒も美味しいのですが、ライトアップの紅葉を見るために、そうそうに店を出ました。
ライトアップ時の入場料は嬉しいことに無料です。
兼六園のライトアップです。
兼六園を出て、石川城にも行きました。
夜になるとグット冷えてきて、ライトアップを堪能したあとは、居酒屋で美味しい肴と美味しいお酒で身も心も暖かくなりました。
2015年11月25日(水)曇後雨
ホテルで朝食を済ませ、朝の散策に出かけようと思っていたのですが、小雨です。
美術館が開くまで時間があるので、ホテルにじっとしてても仕方がないので散策に出かけました。
長町武家屋敷跡です。
土塀の続く町並みと石畳が美しいです。
用水路と紅葉の取合せが綺麗です。
ここの紅葉は鮮やかです。
雨もやんで寒いですが、気持ちがいいです。
落ちてしまいそうな柿。冬がそこまで来ています。
散策を終え、チェックアウトして、金沢21世紀美術館へ。
屋外の作品です。
屋外は無料で、いつでも鑑賞できます。
正面入口です。
平日にも係わらず、開館前から行列が出来ていました。
外国からのお客さんもいてました。係の人は、ペラペラです。
21世紀美術館で有名な作品「スイミング・プール」です。
本来なら水の中に人が見える(地下からは見上げる)作品になっているのですが、地下が改装中で入れませんでした。残念。
「パースペクティブ」です。
タペストリーのように見えますが、近寄って見ると使用済みの瓶の金属蓋などを繋ぎ合わせて出来ています。気の遠くなるような制作です。
国連をテーマにした作品が並んでいました。
「雲を測る男」です。
独房で鳥類学者になった実在の囚人の言葉に着想を得て制作されました。
男の愚直さを感じます。
「Ghost in the Cell」です。
音と光で構成されています。生命の息吹と人生を感じる作品です。
「移動-もうひとつの国」です。
ボートが逆さまになっていて、そこに様々な造形物が連なっています。
人生の混沌と死生観を感じました。
金沢21世紀美術館はユニークな美術館だと言われていますが、現代美術を見慣れた人にとっては、それほど特別な作品だとは思わないと思います。楽しい美術館であるのは間違いないです。
外に出たら、また雨が降っていました。
バスで金沢駅へ。
金沢駅の伝統芸能に使われる鼓をイメージした「鼓門」です。
1泊2日の短い旅でしたが、写真を沢山撮って、観たかった野々村仁清の作品も観られましたし、金沢おでん等の美味しいものも食べられて充実した旅でした。
今年の紅葉狩りは、どこにしようかなと考えていましたが、友達と相談して金沢にしました。
20日から29日まで、ライトアップされるので、それに合わせての出発となりました。
大阪駅から特急サンダーバードに乗って、2時間44分で金沢に到着。
天気予報通り、曇っています。
まずはバスに乗って、石川県立美術館へ。
入場料は360円です。
なぜ、ここへ来たかとゆうと、以前から見たかった野々村仁清の「色絵雉香炉(いろえきじこうろ)」が見たかったのです。
手前が「色絵雉香炉」です。国宝です。(写真撮影は禁止なので、絵ハガキを撮影しました)
思っていたより大きいです。色彩が鮮やかで美しいです。
奧側は「色絵雌雉香炉(いろえめすきじこうろ)」です。こちらも野々村仁清作で、重要文化財です。
雌は元は個人で所有されていたのですが、雄と一緒に並んでいるのがいいと寄贈されて並んで展示されるようになりました。奇特な方に感謝です。
外に出たら雨は小振りになっていて今回の旅のメイン、紅葉狩りに兼六園に向かいます。
今年の秋は冷え込みが弱くて、紅葉はイマイチかなと思っていましたが、その通りでした。
色づいかないままに散ってしまっているところもあります。
綺麗なところを見ながら、カメラにパチリパチリと収めていきます。
天気が悪く、色づきも悪く、腕も悪いので、なかなか思ったような写真は撮れませんでしたが・・・。
いったん、ホテルにチェックインして、1月に食べられなかった金沢おでんに再チャレンジです。
ホテルの近くのおでん屋に行ってみました。
開店して30分ほどだったのですが、最後の席でギリギリセーフでした。
ロールキャベツとバイ貝です。
バイ貝は金沢おでんらしいネタです。富山では刺身で頂きましたが、おでんでも美味しいです。
こちらはカニ面です。
香箱ガニという小さいカニの甲羅に、カニから取り出した身やミソ、内子を詰めて蒸し、おでんのだしで煮たものです。注文を聞いてから作るので、1時間近く待たされました。予約したほうがベターです。カニ面が食べられるのは、11月初めから12月末までですので、ご注意を。
冷酒をもらったのですが、黒帯とゆう銘柄でした。
初めて聞く日本酒だったので、大将に石川のお酒ですかと尋ねたら、モチロン!と怒ったように言われました。そんな言い方せんでも、ええのに。ちょっとヘンコな大将です。
おでんもお酒も美味しいのですが、ライトアップの紅葉を見るために、そうそうに店を出ました。
ライトアップ時の入場料は嬉しいことに無料です。
兼六園のライトアップです。
兼六園を出て、石川城にも行きました。
夜になるとグット冷えてきて、ライトアップを堪能したあとは、居酒屋で美味しい肴と美味しいお酒で身も心も暖かくなりました。
2015年11月25日(水)曇後雨
ホテルで朝食を済ませ、朝の散策に出かけようと思っていたのですが、小雨です。
美術館が開くまで時間があるので、ホテルにじっとしてても仕方がないので散策に出かけました。
長町武家屋敷跡です。
土塀の続く町並みと石畳が美しいです。
用水路と紅葉の取合せが綺麗です。
ここの紅葉は鮮やかです。
雨もやんで寒いですが、気持ちがいいです。
落ちてしまいそうな柿。冬がそこまで来ています。
散策を終え、チェックアウトして、金沢21世紀美術館へ。
屋外の作品です。
屋外は無料で、いつでも鑑賞できます。
正面入口です。
平日にも係わらず、開館前から行列が出来ていました。
外国からのお客さんもいてました。係の人は、ペラペラです。
21世紀美術館で有名な作品「スイミング・プール」です。
本来なら水の中に人が見える(地下からは見上げる)作品になっているのですが、地下が改装中で入れませんでした。残念。
「パースペクティブ」です。
タペストリーのように見えますが、近寄って見ると使用済みの瓶の金属蓋などを繋ぎ合わせて出来ています。気の遠くなるような制作です。
国連をテーマにした作品が並んでいました。
「雲を測る男」です。
独房で鳥類学者になった実在の囚人の言葉に着想を得て制作されました。
男の愚直さを感じます。
「Ghost in the Cell」です。
音と光で構成されています。生命の息吹と人生を感じる作品です。
「移動-もうひとつの国」です。
ボートが逆さまになっていて、そこに様々な造形物が連なっています。
人生の混沌と死生観を感じました。
金沢21世紀美術館はユニークな美術館だと言われていますが、現代美術を見慣れた人にとっては、それほど特別な作品だとは思わないと思います。楽しい美術館であるのは間違いないです。
外に出たら、また雨が降っていました。
バスで金沢駅へ。
金沢駅の伝統芸能に使われる鼓をイメージした「鼓門」です。
1泊2日の短い旅でしたが、写真を沢山撮って、観たかった野々村仁清の作品も観られましたし、金沢おでん等の美味しいものも食べられて充実した旅でした。
岩ガキ食べ放題と但馬高原植物園・猿尾滝 [国内旅行]
2015年9月30日(水)曇
バスツアーを利用して岩ガキ食べ放題ツアーに行きます。
バスは満席で、外国からのお客さんもいてはりました。
まずは、但馬高原植物園を訪れます。
この植物園は、東経136°標高680mにあり、南方の植物の北限、北方の植物の南限、高山植物の低限、低地植物の高限にあたり、日量5,000tの湧水により湿原が形成されているため植生は極めて豊かで、自生植物は2,000種類を超えています。面積は17ha、甲子園球場4つぶんの広さです。
個人で訪れると、入園料は510円です。
オタカラコウです。
ガイドさんの説明を聞きながら、園内をまわります。ガイドさんは後ろ向きに歩いてはって、器用です。
足湯ならぬ、足水場です。
水量が豊富で、水温は9℃。手をつけてみたら、しびれるくらい冷たいです。
和池の大カツラです。
樹齢1000年、樹高は実測で約39m、幹周約15mの立派な木です。
高坂川の源流となる湧水「千年水(平成の名水百選選定)」が流れていて、飲むことが出来ます。
湧水の細菌数は、なんと0だそうです。
渓流を跨いで根を張る姿は珍しく、神秘的な雰囲気を漂わせています。
この日は地元の小学生らしい子達が写生をしていました。
アジサイです。
時期は関係なく、条件が合えば咲くそうです。
マツムシソウです。
高原の秋を代表する花です。。マツムシ(スズムシ)が鳴くころに咲くことが和名の由来であるとする説があります。
ミゾソバです。
その見た目が蕎麦に似ていることが和名の由来になっています。
葉っぱの形から、別名“牛の額”とも言われています。
ヨメナです。
名前の由来は嫁菜とも夜目菜とも言われ、はっきりしません。一説には、美しく優しげな花を咲かせるため「嫁」の名がつくとも言われています。
名前は分かりません。
リンドウです。
沢山の花が咲いていますが、だいたいの花が一週間の寿命だそうです。
シュウメイギクです。
中国から古い時代に入ってきた帰化植物です。文献上では「花壇綱目」に「秋明菊」の名前で記載が成れていて、日本に定着していたことが窺えるそうです。
名前はわかりません。
植物の宝庫ですが、定着しなかった植物もあるそうで、自然は厳しいもんです。
植物を堪能したあとは、お楽しみ、バスで浜坂まで移動して岩ガキ食べ放題の昼食です。
ジャジャーン!!岩ガキで〜す。
陶板で蒸し焼きにして頂きます。火力が弱いのでなかなか焼けません。
真ガキの煮付けとマリネです。
これは食べ放題では、ありません。
岩ガキが焼けるのを待っている間、カキフライ・カキ汁・甘エビ・カキカレー(これらのカキは真ガキです)」などを食べて待ちます。
結局、岩ガキは15個くらいしか食べられませんでした。もっと食べたかったです。
バスで隣席のおじさんは、4個くらいしか食べてはりませんでした。私は、なかなか上品にはなれないです。
バスで移動して、猿尾滝へ。
日本の滝百選に選定されています。滝好きとしては訪れてみたかった滝で、このツアーを選んだ理由の一つでもあります。選定25周年の看板も掛かっていました。
江戸時代、この地を治めていた交代寄合(のち村岡藩)山名氏は夏には"ソーメン流し"をして楽しんだと伝えられています。これに因み毎年7月第2日曜日に「猿尾滝祭り」を開催し、大規模な"ソーメン流し"を行いっているそうです。
猿尾滝ひん岩脈で形成された岩肌を上下2段に分かれて落下しています。なお、それぞれの落差は上段39メートル、下段21メートルである。その名の由来は下段の流れが猿の尾に似ていることから名付けられたと言われています。特に猿の尾に似ているとも思えないですが・・・。
上段の滝の中頃に見える岩です。仏様とマリア様と言われています。
水量などによっては見えないそうで、昨日は見えなかったとゆうてはりましたので、ラッキーです。
見えるかどうか、信ずるものは救われるかな?
上段の滝つぼまで本来なら行けるのですが、落石があったそうで通行禁止になっていました。
次の楽しみにしておきましょう。
岩ガキは美味しかったですし、但馬高原植物園は思っていたより、よかったです。猿尾滝はやっと訪れることが出来て、充実したバスツアーでした。
バスツアーを利用して岩ガキ食べ放題ツアーに行きます。
バスは満席で、外国からのお客さんもいてはりました。
まずは、但馬高原植物園を訪れます。
この植物園は、東経136°標高680mにあり、南方の植物の北限、北方の植物の南限、高山植物の低限、低地植物の高限にあたり、日量5,000tの湧水により湿原が形成されているため植生は極めて豊かで、自生植物は2,000種類を超えています。面積は17ha、甲子園球場4つぶんの広さです。
個人で訪れると、入園料は510円です。
オタカラコウです。
ガイドさんの説明を聞きながら、園内をまわります。ガイドさんは後ろ向きに歩いてはって、器用です。
足湯ならぬ、足水場です。
水量が豊富で、水温は9℃。手をつけてみたら、しびれるくらい冷たいです。
和池の大カツラです。
樹齢1000年、樹高は実測で約39m、幹周約15mの立派な木です。
高坂川の源流となる湧水「千年水(平成の名水百選選定)」が流れていて、飲むことが出来ます。
湧水の細菌数は、なんと0だそうです。
渓流を跨いで根を張る姿は珍しく、神秘的な雰囲気を漂わせています。
この日は地元の小学生らしい子達が写生をしていました。
アジサイです。
時期は関係なく、条件が合えば咲くそうです。
マツムシソウです。
高原の秋を代表する花です。。マツムシ(スズムシ)が鳴くころに咲くことが和名の由来であるとする説があります。
ミゾソバです。
その見た目が蕎麦に似ていることが和名の由来になっています。
葉っぱの形から、別名“牛の額”とも言われています。
ヨメナです。
名前の由来は嫁菜とも夜目菜とも言われ、はっきりしません。一説には、美しく優しげな花を咲かせるため「嫁」の名がつくとも言われています。
名前は分かりません。
リンドウです。
沢山の花が咲いていますが、だいたいの花が一週間の寿命だそうです。
シュウメイギクです。
中国から古い時代に入ってきた帰化植物です。文献上では「花壇綱目」に「秋明菊」の名前で記載が成れていて、日本に定着していたことが窺えるそうです。
名前はわかりません。
植物の宝庫ですが、定着しなかった植物もあるそうで、自然は厳しいもんです。
植物を堪能したあとは、お楽しみ、バスで浜坂まで移動して岩ガキ食べ放題の昼食です。
ジャジャーン!!岩ガキで〜す。
陶板で蒸し焼きにして頂きます。火力が弱いのでなかなか焼けません。
真ガキの煮付けとマリネです。
これは食べ放題では、ありません。
岩ガキが焼けるのを待っている間、カキフライ・カキ汁・甘エビ・カキカレー(これらのカキは真ガキです)」などを食べて待ちます。
結局、岩ガキは15個くらいしか食べられませんでした。もっと食べたかったです。
バスで隣席のおじさんは、4個くらいしか食べてはりませんでした。私は、なかなか上品にはなれないです。
バスで移動して、猿尾滝へ。
日本の滝百選に選定されています。滝好きとしては訪れてみたかった滝で、このツアーを選んだ理由の一つでもあります。選定25周年の看板も掛かっていました。
江戸時代、この地を治めていた交代寄合(のち村岡藩)山名氏は夏には"ソーメン流し"をして楽しんだと伝えられています。これに因み毎年7月第2日曜日に「猿尾滝祭り」を開催し、大規模な"ソーメン流し"を行いっているそうです。
猿尾滝ひん岩脈で形成された岩肌を上下2段に分かれて落下しています。なお、それぞれの落差は上段39メートル、下段21メートルである。その名の由来は下段の流れが猿の尾に似ていることから名付けられたと言われています。特に猿の尾に似ているとも思えないですが・・・。
上段の滝の中頃に見える岩です。仏様とマリア様と言われています。
水量などによっては見えないそうで、昨日は見えなかったとゆうてはりましたので、ラッキーです。
見えるかどうか、信ずるものは救われるかな?
上段の滝つぼまで本来なら行けるのですが、落石があったそうで通行禁止になっていました。
次の楽しみにしておきましょう。
岩ガキは美味しかったですし、但馬高原植物園は思っていたより、よかったです。猿尾滝はやっと訪れることが出来て、充実したバスツアーでした。
松江~安来〜倉敷 美術館巡り [国内旅行]
2015年9月4日(金)晴
今回の旅のテーマは、ずばり「美」です。
3つの美術館を巡る旅です。
新大阪から「こだま」で岡山まで、特急「やくも」に乗り換えて、4時間あまりかけて松江に到着。
今回の旅は弥次喜多道中なので、列車の中も楽しいです。
今年は秋雨の訪れが早く、また台風も多くて天気が心配でしたが、なんとか晴れてくれました。
まずは最初の美術館、松江県立美術館を訪れます。
企画展とコレクション展を合わせての入場料は¥1,150です。
企画展は、「ムルロ工房と20世紀の巨匠たち―パリが愛したリトグラフ」 が開催されていました。
次回の企画展は、「伊藤若冲と京の美術―細見コレクションの精華」です。こっちのほうが、よかったなと思いつつ、絵画を楽しみます。
企画展より、コレクション展のほうが面白かったです。
横山大観の「宍道湖真景図」です。
コレクション展では、何点かの作品は撮影OKです。日本の美術館では珍しいです。
横山大観は山岡米華と共に明治43年8月20日に松江にやってきて、約2週間滞在していました。
この滞在中に描かれた作品です。
ロダンの「ヴィクトル・ユゴーのモニュメント」です。
フランスの大文豪ヴィクトル・ユゴーの死に際して、フランス政府は、その記念像をパンテオン(偉人廟)に建立することとし、1889年ロダンにこの制作を依頼して出来た作品です。
ユゴーが亡命していたガーンジー島の岩場に座りその背後から2つの精霊がインスピレーションを吹きかけるという神格化した像として表しています。
うねうねとした動きと穴の開いた見えないかたちが一緒になっているところがミソになっているそうです。
この美術館に来た一番の目的は夕日を眺めることです。
一説には日本一の夕日との呼び声もあるほどです。
屋外には彫刻作品があります。
籔内佐斗司 作 「宍道湖うさぎ」です。
12羽のうさぎがぴょんぴょん跳びはね、最後に宍道湖を眺めています。
よく見るとこのうさぎは三種類の形しかありません。後ろ足で蹴っているポーズと、
前足で着地しているだけの二種類の形を交互に配置させて動きをだしています。
前から2番目のうさぎを触ると幸せが訪れると言われていいます。
西の方向に向かって優しく撫でると効果がアップするそうです。
うさぎを眺めて遊んでいるうちに、だんだんと太陽が沈んできました。
ちょっと雲が多いのが玉に瑕ですが、綺麗な夕日です。宍道湖うさぎを入れて写真を撮ってみました。
夕暮れのショーを眺めて、島根県立美術館とお別れです。
今夜の宿は、駅から一番近い「ホテル・アルファ-ワン第2松江」にしました。
何の変哲もない、ビジネスホテルですが、寝るには充分です。
夕食はついていないので、ホテル近くの居酒屋に行きました。
王録飲み比べとゆうのがあったので、それにしました。
島根のお酒です。地元の物を食べて、地元のお酒を飲むのが、私の旅の流儀です。
日本海の幸をいただきます。
のどぐろの刺身は脂がのっていて、美味しいです。
ドギの丸干しです。
ドギは、ノロゲンゲとゆう深海魚です。
水分も多く食べずらいのですが干物にすれば、 ドギの持っている塩分(深層水)と魚の旨みが絶妙で酒好きにはこたえられない干物です。
ここの居酒屋は、箸置きが煮干になっていました。
最後に煮干も頂きました。
島根のお酒と珍しい物を食べられて幸せです。
2015年9月5日(土)曇
朝食は、ホテルで和洋バイキングを頂きました。
チェックアウトを済ませ、安来に移動です。
安来駅から無料のシャトルバスに乗って、足立美術館に向かいます。
駅前には安来らしく、どじょうすくいの像がありました。
足立美術館を訪れるのは20年振りくらいです。
足立美術館は、地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこうが、1970年(昭和45年)、71歳のときに開館した美術館です。今年、開館45周年に当たります。質量ともに日本一として知られる大観の作品は総数130点にのぼり、大観美術館との異名をとっています。
入場料は、¥2,300です。
土日は人が多いので、帰りのシャトルバスの整理券をもらっておかないといけないのですが、忘れて入場してしまいましたが、友達に言われて取りにいきました。一人やったら帰りのシャトルバスに乗れなかったかもしれません。感謝です。
足立全康の像です。
足立美術館のもう一つの特色は、その広大な日本庭園です。
米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が行っている日本庭園ランキングでは、初回の2003年から2014年まで、12年連続で庭園日本一に選出されています。
枯山水庭です。
日本庭園における造園技法のひとつである借景の手法が採られ、彼方の山や木々までも取り込んで織り成す造形美は秀逸です。一つの庭に見えますが、奥の山と手前の庭の間には道路が3本通っていて、民家もあるのですが、全く分かりません。庭の解説もあるので、解説を聞くとより庭の素晴らしさが伝わってきます。
左側の立石は険しい山をイメージし、そこから流れる滝水がやがて大河となる、雄大な趣を表しています。
何も言葉はいらないです。
池庭です。
周囲との調和を考え、新しい感覚と伝統的手法を用いて造られた庭園です。
白砂青松庭です。
横山大観の名作「白砂青松」をイメージして造られた庭園です。
白砂の丘陵には、右に黒松、左に赤松を配し、対照的な長和美を生み出しています。
「庭園もまた一幅の絵画である」という全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園が掛軸のようになっている、生の掛軸です。
こちらは、生の衝立です。
この日は土曜日で人が多かったですが、団体客が過ぎたところで人のいない写真が撮れました。ラッキーです。
庭を眺め終えると、2階へ。
2階には、絵画作品が並んでいます。
開館45周年を迎え、これを記念して、日本画に感動!ベストセレクション展〔後期〕が開催されていました。
横山大観の「紅葉」です。
自然の紅葉には早いので、絵画で紅葉を楽しみます。
真紅の紅葉に、群青の流水と白金泥の漣を加え、秋の清冽な自然を描き出しています。
しゃがんで眺め上げると、キラキラを光って見えます。
学芸員による作品解説もありますので、より楽しく作品を鑑賞できます。
庭園を眺め写真を撮り、絵画を眺め美を堪能し、コーヒーを飲みながら庭園を眺めと、贅沢な時間を過ごしました。足立美術館、素晴らしいですが、一つ食べる物の種類が少ないのが残念でした。
楽しい時の経つのは早いもので、シャトルバスの出発時間が迫ってきて、足立美術館を後にしました。
安来駅まで戻ってきて、特急やくもで倉敷まで移動です。
今日のお宿は、倉敷ロイヤルアートホテルです。
元、日航ホテルだったところです。
一流ホテルなので、荷物を部屋まで運んでくれますが、みすぼらしい恰好をしているので、気恥ずかしいです。貧乏人なので一流の扱いをされると戸惑ってしまいます。
荷物を置いて、夕闇の倉敷を散策です。
夜間ライトアップされていると聞いていたのですが、ライトアップされている建物は少なくて、ちょっと残念でした。
夜の大原美術館です。
散策を済ませて、夕食はホテル内のレストランです。
「倉敷小町会席」旬の食材を厳選した山海グルメ、とゆうものにしました。
お酒は、奇跡の酒とゆうのがあったので、それにしました。
冬瓜と穴子の博多 穂紫蘇です。
太刀魚幽庵焼き 茗荷甘酢漬けです。
蝦蛄絹田巻き うざくゼリー寄せです。
料理は、あんまり期待していなかったのですが、予想を裏切ってくれて、手が込んでいてとっても美味しかったです。奇跡の酒も美味しく、楽しい酒宴となりました。
2015年9月6日(日)雨後曇
今日は朝から、残念ながら雨です。
天気予報を見ても、降水確率100%です。
予約の時間の関係で、ホテルで慌ただしい和洋バイキング朝食をいただいて出発。
朝の大原美術館です。
今回の旅のメインです。
美術館が開館する前に、モーニングツアーとゆうものが開催されていて、それに参加する為に、この日程にしました。8時から9時の1時間、学芸員が解説を聴きながら鑑賞します。入場料は、¥2,000です。
この日は山陽放送の取材が入っていました。
インタビューを受けましたが、大阪では放送がないので見られません。残念。
大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880年–1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年–1929年)に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものです。
とゆうような、大原美術館の成り立ちや、作品の解説を聴きながら楽しみます。
大原美術館を訪れるのは31年ぶり2度目ですが、作品にあわせて、美術館の大きさが決められたとか、知らないことがいっぱいで、興味深いです。
現代美術について、それまでの絵画手法からの「開放」だとゆう説明が面白かったです。
どこに美の主眼を置くかによって、作品とゆうのはガラッと変わるんやなぁと感心しました。
1時間のモーニングツアーが終わって、雨が激しくなってきていましたし、そのまま残ってもいええよとゆうてもらえたので、逆周りでもう一度作品を鑑賞していきます。
ゆっくりと気に入った作品を鑑賞できて、よかったです。
雨が小振りになったところで、いったんホテルに戻ってチェクアウト。チェックアウトが12時なのも嬉しいです。
再び美観地区に戻ってきましたが、雨では写真も撮られへんなぁと思っていたら、ちょっと止み間があって写真も撮れました。
美観地区の真ん中あたりにある中橋です。雨にも関わらず観光客が多いです。
再び雨が降ってきたので、早目の昼食に。
おんなじ事を考えるのが人間で、店は満員でした。
秋の散歩道御膳とゆうのにしました。
1日限定50食となっていました。12種類の料理が食べられるのがいいです。
豚 切り干し 山椒煮とゆうのが、美味しかったです。切り干しに山椒が合うとは発見でした。
岡山の地ビール「独歩」です。
ピルスナーで、スッキリとした味わいで美味しいです。
食事を済ませて外に出たら、雨が止んでいました。
降水確率100%とゆうてたのに、むっちゃラッキーです。
観光ボランティアガイドを利用して散策しようと思っていたのですが、待ち合わせ場所を間違えて、アセアセと移動して、なんとか出発時間に間に合いました。
美観地区の中に証券会社がありました。
その会社が黒板に株式近況を書いています。
デジタルでスピードが求められる証券会社で、板書とゆうのが微笑ましいです。
大原美術館の正面右側になりますが、昔の窓の跡です。
大原美術館が出来た頃は、美術作品とゆうのは自然光の中で見るのがええとされていたそうで、ですから採光の為の窓でもあったそうです。今では考えられないことで、よう作品が痛めへんかったなぁと思います。
ガイドさんを通して観光すると、そんな知らなかった歴史を知る事ができて、興味深いです。
大原美術館の中庭にある睡蓮です。
これは、2000年の創立70周年に、フランスの画家であるクロード・モネのジヴェル二ーの自宅庭園から株分けされ、移植したものです。まさに本物のモネの睡蓮です。
今橋です。
大原美術館前の倉敷川に架かる橋で大正15年(1926年)に、皇太子であった昭和天皇訪問に合わせ建造されました。児島虎次郎氏デザインで、大原孫三郎氏の干支にちなんで20体の竜が彫られています。天皇にあわせて竜の指は5本あります。
有隣荘です。
1928年(昭和3年)に 大原孫三郎が、病弱な妻を気遣い「家族の為に落ち着いた住まいを」と建設されました。土台の石に合わせて、板塀を削っているのが、なんとも手が込んでいます。
中橋まで戻ってきました。
横から見ると、一枚岩で出来た橋だとゆうのが分かります。
この橋は約10mの川をまたいでいますが、その桁の長さは、現存する日本の石桁橋の中で最長を誇っています。
観光ボランテイアガイドは、まだまだ続くのですが、帰りの列車の時間が迫っていて、美観地区を後にし帰路につきました。
足立全康といい、大原孫三郎といい、ええお金の使い方をしていますね。
お金持ちには、こうあって欲しいとゆう理想です。私もお金持ちになれば・・・。
美を堪能できた中身の濃い旅となりました。
今回の旅のテーマは、ずばり「美」です。
3つの美術館を巡る旅です。
新大阪から「こだま」で岡山まで、特急「やくも」に乗り換えて、4時間あまりかけて松江に到着。
今回の旅は弥次喜多道中なので、列車の中も楽しいです。
今年は秋雨の訪れが早く、また台風も多くて天気が心配でしたが、なんとか晴れてくれました。
まずは最初の美術館、松江県立美術館を訪れます。
企画展とコレクション展を合わせての入場料は¥1,150です。
企画展は、「ムルロ工房と20世紀の巨匠たち―パリが愛したリトグラフ」 が開催されていました。
次回の企画展は、「伊藤若冲と京の美術―細見コレクションの精華」です。こっちのほうが、よかったなと思いつつ、絵画を楽しみます。
企画展より、コレクション展のほうが面白かったです。
横山大観の「宍道湖真景図」です。
コレクション展では、何点かの作品は撮影OKです。日本の美術館では珍しいです。
横山大観は山岡米華と共に明治43年8月20日に松江にやってきて、約2週間滞在していました。
この滞在中に描かれた作品です。
ロダンの「ヴィクトル・ユゴーのモニュメント」です。
フランスの大文豪ヴィクトル・ユゴーの死に際して、フランス政府は、その記念像をパンテオン(偉人廟)に建立することとし、1889年ロダンにこの制作を依頼して出来た作品です。
ユゴーが亡命していたガーンジー島の岩場に座りその背後から2つの精霊がインスピレーションを吹きかけるという神格化した像として表しています。
うねうねとした動きと穴の開いた見えないかたちが一緒になっているところがミソになっているそうです。
この美術館に来た一番の目的は夕日を眺めることです。
一説には日本一の夕日との呼び声もあるほどです。
屋外には彫刻作品があります。
籔内佐斗司 作 「宍道湖うさぎ」です。
12羽のうさぎがぴょんぴょん跳びはね、最後に宍道湖を眺めています。
よく見るとこのうさぎは三種類の形しかありません。後ろ足で蹴っているポーズと、
前足で着地しているだけの二種類の形を交互に配置させて動きをだしています。
前から2番目のうさぎを触ると幸せが訪れると言われていいます。
西の方向に向かって優しく撫でると効果がアップするそうです。
うさぎを眺めて遊んでいるうちに、だんだんと太陽が沈んできました。
ちょっと雲が多いのが玉に瑕ですが、綺麗な夕日です。宍道湖うさぎを入れて写真を撮ってみました。
夕暮れのショーを眺めて、島根県立美術館とお別れです。
今夜の宿は、駅から一番近い「ホテル・アルファ-ワン第2松江」にしました。
何の変哲もない、ビジネスホテルですが、寝るには充分です。
夕食はついていないので、ホテル近くの居酒屋に行きました。
王録飲み比べとゆうのがあったので、それにしました。
島根のお酒です。地元の物を食べて、地元のお酒を飲むのが、私の旅の流儀です。
日本海の幸をいただきます。
のどぐろの刺身は脂がのっていて、美味しいです。
ドギの丸干しです。
ドギは、ノロゲンゲとゆう深海魚です。
水分も多く食べずらいのですが干物にすれば、 ドギの持っている塩分(深層水)と魚の旨みが絶妙で酒好きにはこたえられない干物です。
ここの居酒屋は、箸置きが煮干になっていました。
最後に煮干も頂きました。
島根のお酒と珍しい物を食べられて幸せです。
2015年9月5日(土)曇
朝食は、ホテルで和洋バイキングを頂きました。
チェックアウトを済ませ、安来に移動です。
安来駅から無料のシャトルバスに乗って、足立美術館に向かいます。
駅前には安来らしく、どじょうすくいの像がありました。
足立美術館を訪れるのは20年振りくらいです。
足立美術館は、地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこうが、1970年(昭和45年)、71歳のときに開館した美術館です。今年、開館45周年に当たります。質量ともに日本一として知られる大観の作品は総数130点にのぼり、大観美術館との異名をとっています。
入場料は、¥2,300です。
土日は人が多いので、帰りのシャトルバスの整理券をもらっておかないといけないのですが、忘れて入場してしまいましたが、友達に言われて取りにいきました。一人やったら帰りのシャトルバスに乗れなかったかもしれません。感謝です。
足立全康の像です。
足立美術館のもう一つの特色は、その広大な日本庭園です。
米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が行っている日本庭園ランキングでは、初回の2003年から2014年まで、12年連続で庭園日本一に選出されています。
枯山水庭です。
日本庭園における造園技法のひとつである借景の手法が採られ、彼方の山や木々までも取り込んで織り成す造形美は秀逸です。一つの庭に見えますが、奥の山と手前の庭の間には道路が3本通っていて、民家もあるのですが、全く分かりません。庭の解説もあるので、解説を聞くとより庭の素晴らしさが伝わってきます。
左側の立石は険しい山をイメージし、そこから流れる滝水がやがて大河となる、雄大な趣を表しています。
何も言葉はいらないです。
池庭です。
周囲との調和を考え、新しい感覚と伝統的手法を用いて造られた庭園です。
白砂青松庭です。
横山大観の名作「白砂青松」をイメージして造られた庭園です。
白砂の丘陵には、右に黒松、左に赤松を配し、対照的な長和美を生み出しています。
「庭園もまた一幅の絵画である」という全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園が掛軸のようになっている、生の掛軸です。
こちらは、生の衝立です。
この日は土曜日で人が多かったですが、団体客が過ぎたところで人のいない写真が撮れました。ラッキーです。
庭を眺め終えると、2階へ。
2階には、絵画作品が並んでいます。
開館45周年を迎え、これを記念して、日本画に感動!ベストセレクション展〔後期〕が開催されていました。
横山大観の「紅葉」です。
自然の紅葉には早いので、絵画で紅葉を楽しみます。
真紅の紅葉に、群青の流水と白金泥の漣を加え、秋の清冽な自然を描き出しています。
しゃがんで眺め上げると、キラキラを光って見えます。
学芸員による作品解説もありますので、より楽しく作品を鑑賞できます。
庭園を眺め写真を撮り、絵画を眺め美を堪能し、コーヒーを飲みながら庭園を眺めと、贅沢な時間を過ごしました。足立美術館、素晴らしいですが、一つ食べる物の種類が少ないのが残念でした。
楽しい時の経つのは早いもので、シャトルバスの出発時間が迫ってきて、足立美術館を後にしました。
安来駅まで戻ってきて、特急やくもで倉敷まで移動です。
今日のお宿は、倉敷ロイヤルアートホテルです。
元、日航ホテルだったところです。
一流ホテルなので、荷物を部屋まで運んでくれますが、みすぼらしい恰好をしているので、気恥ずかしいです。貧乏人なので一流の扱いをされると戸惑ってしまいます。
荷物を置いて、夕闇の倉敷を散策です。
夜間ライトアップされていると聞いていたのですが、ライトアップされている建物は少なくて、ちょっと残念でした。
夜の大原美術館です。
散策を済ませて、夕食はホテル内のレストランです。
「倉敷小町会席」旬の食材を厳選した山海グルメ、とゆうものにしました。
お酒は、奇跡の酒とゆうのがあったので、それにしました。
冬瓜と穴子の博多 穂紫蘇です。
太刀魚幽庵焼き 茗荷甘酢漬けです。
蝦蛄絹田巻き うざくゼリー寄せです。
料理は、あんまり期待していなかったのですが、予想を裏切ってくれて、手が込んでいてとっても美味しかったです。奇跡の酒も美味しく、楽しい酒宴となりました。
2015年9月6日(日)雨後曇
今日は朝から、残念ながら雨です。
天気予報を見ても、降水確率100%です。
予約の時間の関係で、ホテルで慌ただしい和洋バイキング朝食をいただいて出発。
朝の大原美術館です。
今回の旅のメインです。
美術館が開館する前に、モーニングツアーとゆうものが開催されていて、それに参加する為に、この日程にしました。8時から9時の1時間、学芸員が解説を聴きながら鑑賞します。入場料は、¥2,000です。
この日は山陽放送の取材が入っていました。
インタビューを受けましたが、大阪では放送がないので見られません。残念。
大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880年–1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年–1929年)に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものです。
とゆうような、大原美術館の成り立ちや、作品の解説を聴きながら楽しみます。
大原美術館を訪れるのは31年ぶり2度目ですが、作品にあわせて、美術館の大きさが決められたとか、知らないことがいっぱいで、興味深いです。
現代美術について、それまでの絵画手法からの「開放」だとゆう説明が面白かったです。
どこに美の主眼を置くかによって、作品とゆうのはガラッと変わるんやなぁと感心しました。
1時間のモーニングツアーが終わって、雨が激しくなってきていましたし、そのまま残ってもいええよとゆうてもらえたので、逆周りでもう一度作品を鑑賞していきます。
ゆっくりと気に入った作品を鑑賞できて、よかったです。
雨が小振りになったところで、いったんホテルに戻ってチェクアウト。チェックアウトが12時なのも嬉しいです。
再び美観地区に戻ってきましたが、雨では写真も撮られへんなぁと思っていたら、ちょっと止み間があって写真も撮れました。
美観地区の真ん中あたりにある中橋です。雨にも関わらず観光客が多いです。
再び雨が降ってきたので、早目の昼食に。
おんなじ事を考えるのが人間で、店は満員でした。
秋の散歩道御膳とゆうのにしました。
1日限定50食となっていました。12種類の料理が食べられるのがいいです。
豚 切り干し 山椒煮とゆうのが、美味しかったです。切り干しに山椒が合うとは発見でした。
岡山の地ビール「独歩」です。
ピルスナーで、スッキリとした味わいで美味しいです。
食事を済ませて外に出たら、雨が止んでいました。
降水確率100%とゆうてたのに、むっちゃラッキーです。
観光ボランティアガイドを利用して散策しようと思っていたのですが、待ち合わせ場所を間違えて、アセアセと移動して、なんとか出発時間に間に合いました。
美観地区の中に証券会社がありました。
その会社が黒板に株式近況を書いています。
デジタルでスピードが求められる証券会社で、板書とゆうのが微笑ましいです。
大原美術館の正面右側になりますが、昔の窓の跡です。
大原美術館が出来た頃は、美術作品とゆうのは自然光の中で見るのがええとされていたそうで、ですから採光の為の窓でもあったそうです。今では考えられないことで、よう作品が痛めへんかったなぁと思います。
ガイドさんを通して観光すると、そんな知らなかった歴史を知る事ができて、興味深いです。
大原美術館の中庭にある睡蓮です。
これは、2000年の創立70周年に、フランスの画家であるクロード・モネのジヴェル二ーの自宅庭園から株分けされ、移植したものです。まさに本物のモネの睡蓮です。
今橋です。
大原美術館前の倉敷川に架かる橋で大正15年(1926年)に、皇太子であった昭和天皇訪問に合わせ建造されました。児島虎次郎氏デザインで、大原孫三郎氏の干支にちなんで20体の竜が彫られています。天皇にあわせて竜の指は5本あります。
有隣荘です。
1928年(昭和3年)に 大原孫三郎が、病弱な妻を気遣い「家族の為に落ち着いた住まいを」と建設されました。土台の石に合わせて、板塀を削っているのが、なんとも手が込んでいます。
中橋まで戻ってきました。
横から見ると、一枚岩で出来た橋だとゆうのが分かります。
この橋は約10mの川をまたいでいますが、その桁の長さは、現存する日本の石桁橋の中で最長を誇っています。
観光ボランテイアガイドは、まだまだ続くのですが、帰りの列車の時間が迫っていて、美観地区を後にし帰路につきました。
足立全康といい、大原孫三郎といい、ええお金の使い方をしていますね。
お金持ちには、こうあって欲しいとゆう理想です。私もお金持ちになれば・・・。
美を堪能できた中身の濃い旅となりました。
広島 磯江毅展 [国内旅行]
2015年5月22日(金)晴
4月に富山へ行ったときに水墨美術館で、広島で磯江毅の展覧会が開催されているのを知り、急遽広島行きを決めました。
新大阪から広島まで新幹線で行くのですが、こだまなら2時間半で4080円、のぞみなら1時間半で6140円です。早さを取るか安さを取るかですが、急ぐ旅でもないので、こだまでお酒を飲みながら車窓からの風景を眺め本でも読んで、のんびり行くことに。
広島に着いてJRで新白島まで行き、アストラムラインとゆう鉄道に乗り換えて、不動院前で下車。
原爆のせいもあり、広島には木造の古い歴史的な建物が殆ど無いのが現状ですが、その中で500年以上前に立てられた建物が残る場所があります。それが、ここ不動院です。
駅を降りて数分で不動院です。
不動院の前身は14世紀中頃、足利尊氏・義直兄弟が国ごとに建立した安国寺であると言われています。16世紀中頃、武田氏の滅亡後、寺院は一時傾きましたが、その後、毛利輝元の使僧を務めた安国寺恵瓊(えけい)が住職となってから、堂塔は再建整備させ、寺勢は盛んとなりました。
楼門です。
1594年の建築で重要文化財です。こちらは、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に従軍した安国寺恵瓊が朝鮮から材木を持ってきて建てたそうです。
金堂です。
山口の守護・戦国大名大内氏が建てた物を、毛利氏が大内氏を滅ぼしたため、安国寺恵瓊がここに移築したものと言われています。なお、現存の唐様仏殿の中では最大とか。1540年築で広島市内唯一の国宝です。
鐘楼堂です。
1433年の建築で重要文化財です。
国宝や重文があるのに、ほとんど知られてないくて(私もまったく知りませんでした)、私以外では一人しかいませんでした。もっと多くの人に見て欲しいもんです。
アストラムラインで移動して、広島城へ。
入口は2ヶ所ありますが、二の丸から入りました。
太鼓楼です。
広島護国神社です。広島城址の中にあります。
正月3ケ日の初詣は60万人を数え、中国地方でも有数の神社となっているほか、広島東洋カープが毎年必勝祈願のために参拝するそうです。
そのせいかどうかは分かりませんが、昇鯉の像がありました。
カープは今年は苦戦していますが、頑張って欲しいもんです。
天守閣が見えてきました。
天守閣は有料になっていて、入場料は360円です。
広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。江戸時代には、福島氏、次いで浅野氏が居城していました。築城以来の天守閣は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたが原爆によって倒壊し、昭和33(1958)年に外観復元されました。平成元(1989)年には築城400年を機に内部改装を行ない、現在は武家文化をテーマとした歴史資料館となっています。
写真は殆どNGですが、一部撮影可になっています。
武家の座敷です。
こちらは、商家の食事をするところです。
箱膳を置いてあるのが商家らしいです。
天守閣の最上層、第5層まで上ってきました。
なかなか、ええ眺めです。
この日は初夏の陽気ですが、風がここちええです。
広島城は、2日目に来ようかなと思っていたのですが、明日は天気が悪いみたいで、この日に来てよかったです。
もう一ヶ所いこうと思っていたのですが、けっこう見所が多くて、この日は宿へ。
サウナニュージャパンに1泊です。
いわゆるカプセルホテルで、ポイント使って1850円也です。
汗を流してサッパリしたところで、街中へ。
宿は繁華街にあるので、飲み屋はいっぱいあります。
魚の美味しそうな店にしました。
広島名物のアナゴの湯霜造りと、この日のお薦めの魚でオコゼ造り。
アナゴは造りで出す店もありますが、癖があるので湯霜造りにしています。
お酒は、広島以外のお酒も置いていますが、地元のもんを食べて地元のお酒を飲むのが私の旅の流儀で、広島の地酒、瑞冠にしました。この店は、徳利・グラス大・グラス小と選べるのが嬉しいです。
アボカドと音戸ちりめんのサラダです。
カリカリのちりめんが美味しいです。
いろいろと創作料理もあって、楽しいです。
燗酒に切り替えて、竹鶴です。
徳利の上に蓋をのせてあるのが、面白いです。冷めへんようにするためかなぁ。
マッサンこと竹鶴政孝の実家の酒蔵が造っているお酒です。
広島名物の夜鳴き貝造りと、この日のお薦めで青ギザミ造りです。
青ギザミって、初めて聞きましたが、あとで調べたらベラでした。
ベラは食べたことがありますが、造りは初めてでした。
広島、魚もお酒も美味しかったです。
2015年5月23日(土)曇
この旅のメイン、「磯江毅展」へ。
広島県立美術館で開催されています。
混んでたら嫌なので、朝一番で行きました。
開館前に着きましたが、数人の人が待っていました。
日曜美術館で初めて磯江毅のことを知って、ずっと見てみたいと思っていました。
あるがままを理想化せず描写しようとするリアリズム絵画。
マンチャとゆうスペイン独特の深い陰影表現を学びつつ、中世に生まれた“ヴァニタス(人生の虚しさを表す寓意画)”強く惹かれた磯江は、万物が逃れることのできない“死”とゆう運命を「自らの問題」として描き続けました。
独特な作品達に時間が経つのを忘れて没頭しました。
1時間もすると人がかなり増えてきて、朝一で来て正解でした。
お土産にポストカードを買おうと思ったのですが、欲しいものは全て売り切れていました。
残念。
1泊2日の短い旅でしたが、磯江毅の作品に触れて濃密な至福の時を過ごすことが出来た有意義な旅となりました。
帰りも、こだまに乗って、のんびりと帰ってきました。
4月に富山へ行ったときに水墨美術館で、広島で磯江毅の展覧会が開催されているのを知り、急遽広島行きを決めました。
新大阪から広島まで新幹線で行くのですが、こだまなら2時間半で4080円、のぞみなら1時間半で6140円です。早さを取るか安さを取るかですが、急ぐ旅でもないので、こだまでお酒を飲みながら車窓からの風景を眺め本でも読んで、のんびり行くことに。
広島に着いてJRで新白島まで行き、アストラムラインとゆう鉄道に乗り換えて、不動院前で下車。
原爆のせいもあり、広島には木造の古い歴史的な建物が殆ど無いのが現状ですが、その中で500年以上前に立てられた建物が残る場所があります。それが、ここ不動院です。
駅を降りて数分で不動院です。
不動院の前身は14世紀中頃、足利尊氏・義直兄弟が国ごとに建立した安国寺であると言われています。16世紀中頃、武田氏の滅亡後、寺院は一時傾きましたが、その後、毛利輝元の使僧を務めた安国寺恵瓊(えけい)が住職となってから、堂塔は再建整備させ、寺勢は盛んとなりました。
楼門です。
1594年の建築で重要文化財です。こちらは、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に従軍した安国寺恵瓊が朝鮮から材木を持ってきて建てたそうです。
金堂です。
山口の守護・戦国大名大内氏が建てた物を、毛利氏が大内氏を滅ぼしたため、安国寺恵瓊がここに移築したものと言われています。なお、現存の唐様仏殿の中では最大とか。1540年築で広島市内唯一の国宝です。
鐘楼堂です。
1433年の建築で重要文化財です。
国宝や重文があるのに、ほとんど知られてないくて(私もまったく知りませんでした)、私以外では一人しかいませんでした。もっと多くの人に見て欲しいもんです。
アストラムラインで移動して、広島城へ。
入口は2ヶ所ありますが、二の丸から入りました。
太鼓楼です。
広島護国神社です。広島城址の中にあります。
正月3ケ日の初詣は60万人を数え、中国地方でも有数の神社となっているほか、広島東洋カープが毎年必勝祈願のために参拝するそうです。
そのせいかどうかは分かりませんが、昇鯉の像がありました。
カープは今年は苦戦していますが、頑張って欲しいもんです。
天守閣が見えてきました。
天守閣は有料になっていて、入場料は360円です。
広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。江戸時代には、福島氏、次いで浅野氏が居城していました。築城以来の天守閣は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたが原爆によって倒壊し、昭和33(1958)年に外観復元されました。平成元(1989)年には築城400年を機に内部改装を行ない、現在は武家文化をテーマとした歴史資料館となっています。
写真は殆どNGですが、一部撮影可になっています。
武家の座敷です。
こちらは、商家の食事をするところです。
箱膳を置いてあるのが商家らしいです。
天守閣の最上層、第5層まで上ってきました。
なかなか、ええ眺めです。
この日は初夏の陽気ですが、風がここちええです。
広島城は、2日目に来ようかなと思っていたのですが、明日は天気が悪いみたいで、この日に来てよかったです。
もう一ヶ所いこうと思っていたのですが、けっこう見所が多くて、この日は宿へ。
サウナニュージャパンに1泊です。
いわゆるカプセルホテルで、ポイント使って1850円也です。
汗を流してサッパリしたところで、街中へ。
宿は繁華街にあるので、飲み屋はいっぱいあります。
魚の美味しそうな店にしました。
広島名物のアナゴの湯霜造りと、この日のお薦めの魚でオコゼ造り。
アナゴは造りで出す店もありますが、癖があるので湯霜造りにしています。
お酒は、広島以外のお酒も置いていますが、地元のもんを食べて地元のお酒を飲むのが私の旅の流儀で、広島の地酒、瑞冠にしました。この店は、徳利・グラス大・グラス小と選べるのが嬉しいです。
アボカドと音戸ちりめんのサラダです。
カリカリのちりめんが美味しいです。
いろいろと創作料理もあって、楽しいです。
燗酒に切り替えて、竹鶴です。
徳利の上に蓋をのせてあるのが、面白いです。冷めへんようにするためかなぁ。
マッサンこと竹鶴政孝の実家の酒蔵が造っているお酒です。
広島名物の夜鳴き貝造りと、この日のお薦めで青ギザミ造りです。
青ギザミって、初めて聞きましたが、あとで調べたらベラでした。
ベラは食べたことがありますが、造りは初めてでした。
広島、魚もお酒も美味しかったです。
2015年5月23日(土)曇
この旅のメイン、「磯江毅展」へ。
広島県立美術館で開催されています。
混んでたら嫌なので、朝一番で行きました。
開館前に着きましたが、数人の人が待っていました。
日曜美術館で初めて磯江毅のことを知って、ずっと見てみたいと思っていました。
あるがままを理想化せず描写しようとするリアリズム絵画。
マンチャとゆうスペイン独特の深い陰影表現を学びつつ、中世に生まれた“ヴァニタス(人生の虚しさを表す寓意画)”強く惹かれた磯江は、万物が逃れることのできない“死”とゆう運命を「自らの問題」として描き続けました。
独特な作品達に時間が経つのを忘れて没頭しました。
1時間もすると人がかなり増えてきて、朝一で来て正解でした。
お土産にポストカードを買おうと思ったのですが、欲しいものは全て売り切れていました。
残念。
1泊2日の短い旅でしたが、磯江毅の作品に触れて濃密な至福の時を過ごすことが出来た有意義な旅となりました。
帰りも、こだまに乗って、のんびりと帰ってきました。
富山ほたるいか・高岡 [国内旅行]
2015年4月20日(月)曇後雨
ほたるいか漁を見たくて、3年前から申し込んでいたのですが、毎年予約が取れなくて、今年はようやく予約が取れて富山に行くことが出来ます。
ほたるいか観光船の予約は、電話がなかなか通じないのですが、携帯電話で掛けたら繋がりました。ちょっとしたコツかもしれません。
そんなわけで、富山県滑川に到着です。
以前は、大阪から富山までサンダーバードでいけたのですが、今年からはサンダーバードは金沢までとなりました。金沢から富山は新幹線に乗り換えなければなりません。乗り換えするのは面倒なので、どちらか選択できたらええのになと思います。
滑川の駅を降りたら、山の稜線が綺麗に見えていました。
今日の宿は、駅前にあるサンルート滑川にお世話になります。
滑川で安い宿を探したのですが、他には見当たりませんでした。
歩いて10分弱のところに「ほたるいかミュージアム」があり、行ってみました。
入場料は800円です。
ほたるいかの生態や漁の様子が展示されています。
水槽で泳ぐ ほたるいか。とっても綺麗です。
大きな水槽では、ほたるいかに触れることも出来ます。
ほたるいか漁の出航は、翌朝3時と早いので、ホテルに戻って早めに床につきました。
2015年4月21日(火)雨後曇
2時に起きて、ホテルを出て集合場所のほたるいかミュージアムに向かいます。
道路にもほたるいかが描かれています。
集合場所に着きましたが、波が高くて欠航となりました。
むっちゃ残念です。自然には勝たれへんから、しゃあないですね。
今年は雨がめっちゃ多くて、4月は5回くらいしか出航していないそうです。異常気象には困ったもんです。
観光船は、こんな感じです。
漁船に比べて重心が高いので、波に弱いです。
サービスで、ほたるいかの発行ショーを見せてくれました。
昨日の昼間にも見たのですが、係員の解説がよかったです。
ほたるいかは富山が有名ですが、漁獲量でいえば兵庫の方が多いです。
他は底引き網で漁をしていますが、富山は定置網で漁をしています。
定置網での漁は、メスのみが獲れます。メスは身が大きくて美味しいのです。
スーパーで売っている富山のほたるいかは、他の3~4倍の値段がしていますが、これで納得しました。
昔は、ほたるいかは食べなくて肥やしにしていたそうです。
調理方法や保存方法が確立して、ブランド品になっていきました。
いまでは富山に欠かせない存在になっています。
1年とゆう寿命のなかで、産卵のために海岸近くへやってきて、産卵を終えて帰っていく。
そのときに定置網にかかるそうです。
生命の神秘と有り難さに感謝です。
ほたるいかの試食を頂きました。
茹でたてのほたるいかは、ぷりっぷりっで美味しかったです。
ホテルに戻って寝直しました。
ホテルをチェックアウトして、富山へ移動です。
JRではなく、あいの風とやま鉄道とゆう路線になっています。
列車は高校生で満員です。富山は若いもんが多いんでしょうか。
15分ほどで富山に到着。
富山ライトレールの乗り換えですが、富山駅は改装中で道が分かりにくく、また遠い。
ほんで、ライトレールの切符売り場が分かりにくです。
1回券は列車内で買えるのですが、1日フリーきっぷを買いたかったのです。
ようやくライトレールに乗れました。
あとで分かりかましたが、ライトレールは7色のカラーがあるそうです。
終点の岩瀬浜まで行って、岩瀬の街の散策です。
まずは、富山港展望台へ。
北前船時代の琴平神社の常夜燈がモデルになった展望台です。
晴れていたら、富山湾や立山連峰が見えるのですが、曇っていてなんも見えませんでした。
北前船廻船問屋「森家」です。入場料は100円です。
国指定重要文化財になっています。
ここは「オイ」と呼ばれる部屋です。
囲炉裏があって、吹き抜けの梁があり、天窓から射す光で明るいです。
畳の敷き方も工夫されています。川の流れのように敷かれていて美しいです。
わざと半畳の畳も敷いてあって、商売繁盛につながるようにとの願いが込められています。
マエザシキの天井です。
天井の模様が龍に見えます。全部で3匹いてますので、探してみてください。
地元では北前船のことをバイ船と呼び、「バイバイ」に儲かることから、船の往復で儲かる「のこぎり商売」といわれて財をなしたそうです。
これは、全国金満家大番附ですが、一番儲かった馬場さんは、山形の本間さんと並んで番附にのっています。「本間様には及びもないが せめてなりたや殿様に」と謳われたそうですが、馬場さんも本間さんも今の貨幣価値で2000億円となっています。
チャシツには、なんと隠し金庫がありました。
見た目は古びて見えるのですが、写真に撮ると光って写ります。
2000億ですから、金庫はいりますよね。しかも分かれへんとこにね。
案内のお姉さんの説明が楽しくて、めっちゃ面白かったです。
ライトレールで富山に戻って、こんどは市内電車で移動です。
これも1日フリーきっぷで乗車できます。市内電車は5分間隔で運行していますので、市内観光には便利です。
廣貫堂資料館です。
富山といえば薬売り、薬売りといえば富山です。
入場料は無料で、栄養ドリンクのサービスもあります。
実際には見たことないですが、薬売りのイメージですね。
古文書や懸場帳、売薬版画など見ていて分かりやすく面白いです。
この道具は下桝と呼ばれています。
丸薬を数えるときに使うものですが、今も使われていいるとは驚きです。
富山県水墨美術館です。
水墨画を見たかったのですが、横山大観展が開催されていて、水墨画はあまり見られませんでした。
街中を歩いていると、富山城の前にフレームが、これに入れて撮るとええ写真が撮れる??
少し晴れ間がのぞいてきたので、富山市役所展望塔へ。
無料の展望台です。
立山連峰のほうは、分厚い雲がかかっていて何も見えませんでした。
晴れていたら、こんな絶景が見られるので、想像して楽しみました。
観光を終え、宿にチェックイン。
富山駅近くのウイークリー翔です。1泊1900円と、貧乏旅人には嬉しい価格設定です。
泊まるときに身分証明証が必要なんですが、運転免許証を持ってくるのを忘れて、会社の社員証を持っていったのですが、なんとかOKしてくれました。
夜の楽しい時間がやってきて、暖簾をくぐりました。
昨日はおとなしく早寝しましたので、今日は飲むべ~食べるべ~。
富山地酒のみくらべ三種とゆうのがあって注文。
8種類の中から選びます。
黒部峡・勝駒・三笑楽にしました。70mℓずつ入っています。
どれも美味しかったですが、勝駒が一番好みでした。
せっかく富山に来たんやから、富山のうまいもんを注文。
バイ貝の刺身です。コリコリしていて美味しいです。
醤油が甘口と辛口とあります。どう使い分けたらええんか、よう分かりませんが・・・。
甘口醤油は、富山独特の醤油です。
ほたるいか刺身です。
内蔵は寄生虫がいてるので、とってあります。ワザですね。
甘味があって、むっちゃ美味しいです。
「白エビ食べ比べ」で、刺身と昆布じめになっています。
刺身は甘味があってエビの旨さです。昆布じめの方が、私は気に入りました。
富山名物のイカ黒作りです。
イカ墨が入っているので、お箸は真っ黒になりましたが、歯にはつきませんでした。
コクがあって美味しいです。
うまい肴とうまい酒で、富山の夜はサイコーです。
2015年4月22日(水)晴
宿をチェックアウトして、あいの風とやま鉄道で高岡まで移動。
高岡駅でコインロッカーに荷物を預けて、こんどはJRで雨晴へ。
乗るときにはICカード(イコカ)で乗ったのですが、雨晴駅ではイコカは使えませんでした。
便利なんに慣れてしまって、当たり前になってしまったら、あかんですね。
ローカル線は気をつけましょう。
雨晴海岸からの眺めです。思い切りアンダーで撮ってみました。
海越しに3000m級の白い山々を間近に望むとゆうのは、世界でもこの海岸だけです。
でも、季節は春・・・。
あかんやろなと思いながら来てみたら、案の定、晴れているけど霞んでしまっています。
空気が澄む冬でないと難しいと思います。
氷見線をのんびりと列車が通り過ぎていきます。
車窓からの眺めも、ええですよ。
海岸をブラブラしながら、こちらは普通の露出で撮ってみました。
どう撮っても綺麗には写りません。
雨晴とゆう名前の由来は、かつて義経主従が奥州に落ち延びる途中にこの海岸でにわか雨にあい、弁慶が持ち上げた岩陰で雨宿りをしたとゆう「義経雨はらしの岩」の伝説からきています。
高岡駅に戻って、徒歩で散策です。
けっこう距離がありますので、歩くのが苦手な人はレンタサイクルがお薦めです。
まずは、高岡大仏です。
奈良、鎌倉と並ぶ日本三大仏に数えられ、総高15.85m、重量65tの大きさです。
「銅器のまち高岡」の象徴であり、30年の歳月をかけて完成しました。
日本一美男の大仏さんとも言われています。
大仏さんの近くには高岡古城公園があります。
400年前に加賀前田家二代当主前田利長が築いた高岡城の跡です。
その前田利長公の像です。
この日は、公園内では中学生がぎょうさん写生していました。
ここは桜の名所でもあります。もう1週間くらい早く来ていたら、桜が満開だったんでしょうが、ちょっと残念。
しばらく歩いて土蔵造りの町並み「山町筋」にある菅野家住宅です。入場料は200円です。
ここも岩瀬の森家同様、北前船で財をなした家です。
欄間の透かし彫りも見事です。
使っている材木なども、今では手に入らないような贅沢なものを使っています。
今日は外は気温がグングン上がって半袖でも暑いくらいの陽気ですが、家の中は寒くてストーブを焚いていました。土蔵って寒いんねん。夏は涼しくてええかもです。
シャンデリアです。
1灯用、2灯用とあって、これは3灯用となっています。
当時として、モダンやったんでしょうね。
中庭には、握り拳のような庭石があります。
パワースポットとして来られる方もあるようです。
お金を握って離さへんのが極意かな??
土蔵造りの町家が造られたのは、市街地の約6割を焼き尽くした明治33年の大火後です。
土蔵造りの旧家が42棟建ち並んでいます。
繁華街での建物の新築の際は防火構造のものとすることが義務付けられたため、土蔵造りが建てられました。
赤レンガの銀行です。
現役で使われています。古い建物好きにとっては、ごっつうええ感じです。
お次は金屋町へ行こうと思ったのですが、道が分からなくて誰かに聞こうと思いましたが、誰も歩いていません。高岡は、なんだかひっそりとしていて人が少なかったです。
なんとか自力で、たどり着きました。
旧南部鋳造所キューポラ(溶鉱炉)と煙突です。
高岡鋳物発祥の地である金屋町の一角にある地金を溶解するための建造物です。
明治末期から複数のキューポラが建造されましたが現在残っているのは、旧南部鋳造所のものだけとなっています。
キューポラと聞いたら、映画「キューポラのある街」を思い浮かべるのは、ジジィの証拠かな?
千本格子の家並み「金屋町」です。
鋳物産業は火災の危険があったため、千保川を挟んで高岡城下町と向かい合っている金屋町に7名の鋳物師が集められ、鋳物工場及び宅地用として約5000坪(東西50間、南北100間)の土地を与えて優遇したそうです。
高岡駅の北側を散策していましたが、高岡駅まで戻ってきて、こんどは南側の散策です。
富山県で唯一の国宝、瑞龍寺です。こちらは山門です。
瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため、三代藩主利常公によって建立された寺です。
山門をくぐって仏殿が見えてきますが、一直線に並んでいてシンメトリーが綺麗です。
額絵を見ているようです。
仏殿です。
入母屋造、一重裳階(もこし)付きの総欅造りで、屋根は当初杮(こけら)葺きでしたが、現在は総重量約47トンの鉛瓦葺きです。鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に鉄砲の弾にするためともいわれますが、実際は冬季の積雪対策のためだそうです。
鉛瓦は他には、金沢城の石川門と三十間長屋しかない、大変珍しいもんです。
法堂です。総桧造りの入母屋造、銅板葺き。内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きで、横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りで建坪186坪あります。
山門、仏殿、法堂の三つが国宝となっていますが、他の建物も素晴らしいです。
回廊です。
大伽藍を囲む周囲約300mの回廊で、北回廊、南東回廊、南西回廊からなっています。
回廊の左右は白壁となってまして、規則正しく並んだ柱と格子枠の障子戸が特徴です。
八丁道とゆう道を歩いて、前田利長墓所に到着。
大名の墓としては日本一といわれる高さ11.9mの石塔があります。
石塔下部の戸室石で造られた基壇は、約250平方メートルの三層基壇となっており、側面には狩野探幽下絵とされる130枚もの蓮華図文様が彫刻されているそうです。
とゆうのも、普段は入れず、9月13日に行われる前田利長公顕彰祭の時にのみ一般公開されているそうです。
高岡駅前には、「ドラえもん」の登場キャラクターの銅像が12体並んでいます。
高岡市出身の漫画家藤子・F・不二雄さんに因んで作られたようです。
JR氷見線には、忍者ハットリくん列車も走っています。
こちらは、氷見市出身の漫画家藤子不二雄Ⓐさんに因んで作られたようです。
氷見には、トキワ荘を再現したギャラリーもあるそうで、漫画好き、藤子先生好きの方には、魅力ではないでしょうか。
今回の旅では、ほたるいか漁が見られなかったので、また富山に来たいと思います。
予約がうまいこと取れるかなぁ。
ほたるいか漁を見たくて、3年前から申し込んでいたのですが、毎年予約が取れなくて、今年はようやく予約が取れて富山に行くことが出来ます。
ほたるいか観光船の予約は、電話がなかなか通じないのですが、携帯電話で掛けたら繋がりました。ちょっとしたコツかもしれません。
そんなわけで、富山県滑川に到着です。
以前は、大阪から富山までサンダーバードでいけたのですが、今年からはサンダーバードは金沢までとなりました。金沢から富山は新幹線に乗り換えなければなりません。乗り換えするのは面倒なので、どちらか選択できたらええのになと思います。
滑川の駅を降りたら、山の稜線が綺麗に見えていました。
今日の宿は、駅前にあるサンルート滑川にお世話になります。
滑川で安い宿を探したのですが、他には見当たりませんでした。
歩いて10分弱のところに「ほたるいかミュージアム」があり、行ってみました。
入場料は800円です。
ほたるいかの生態や漁の様子が展示されています。
水槽で泳ぐ ほたるいか。とっても綺麗です。
大きな水槽では、ほたるいかに触れることも出来ます。
ほたるいか漁の出航は、翌朝3時と早いので、ホテルに戻って早めに床につきました。
2015年4月21日(火)雨後曇
2時に起きて、ホテルを出て集合場所のほたるいかミュージアムに向かいます。
道路にもほたるいかが描かれています。
集合場所に着きましたが、波が高くて欠航となりました。
むっちゃ残念です。自然には勝たれへんから、しゃあないですね。
今年は雨がめっちゃ多くて、4月は5回くらいしか出航していないそうです。異常気象には困ったもんです。
観光船は、こんな感じです。
漁船に比べて重心が高いので、波に弱いです。
サービスで、ほたるいかの発行ショーを見せてくれました。
昨日の昼間にも見たのですが、係員の解説がよかったです。
ほたるいかは富山が有名ですが、漁獲量でいえば兵庫の方が多いです。
他は底引き網で漁をしていますが、富山は定置網で漁をしています。
定置網での漁は、メスのみが獲れます。メスは身が大きくて美味しいのです。
スーパーで売っている富山のほたるいかは、他の3~4倍の値段がしていますが、これで納得しました。
昔は、ほたるいかは食べなくて肥やしにしていたそうです。
調理方法や保存方法が確立して、ブランド品になっていきました。
いまでは富山に欠かせない存在になっています。
1年とゆう寿命のなかで、産卵のために海岸近くへやってきて、産卵を終えて帰っていく。
そのときに定置網にかかるそうです。
生命の神秘と有り難さに感謝です。
ほたるいかの試食を頂きました。
茹でたてのほたるいかは、ぷりっぷりっで美味しかったです。
ホテルに戻って寝直しました。
ホテルをチェックアウトして、富山へ移動です。
JRではなく、あいの風とやま鉄道とゆう路線になっています。
列車は高校生で満員です。富山は若いもんが多いんでしょうか。
15分ほどで富山に到着。
富山ライトレールの乗り換えですが、富山駅は改装中で道が分かりにくく、また遠い。
ほんで、ライトレールの切符売り場が分かりにくです。
1回券は列車内で買えるのですが、1日フリーきっぷを買いたかったのです。
ようやくライトレールに乗れました。
あとで分かりかましたが、ライトレールは7色のカラーがあるそうです。
終点の岩瀬浜まで行って、岩瀬の街の散策です。
まずは、富山港展望台へ。
北前船時代の琴平神社の常夜燈がモデルになった展望台です。
晴れていたら、富山湾や立山連峰が見えるのですが、曇っていてなんも見えませんでした。
北前船廻船問屋「森家」です。入場料は100円です。
国指定重要文化財になっています。
ここは「オイ」と呼ばれる部屋です。
囲炉裏があって、吹き抜けの梁があり、天窓から射す光で明るいです。
畳の敷き方も工夫されています。川の流れのように敷かれていて美しいです。
わざと半畳の畳も敷いてあって、商売繁盛につながるようにとの願いが込められています。
マエザシキの天井です。
天井の模様が龍に見えます。全部で3匹いてますので、探してみてください。
地元では北前船のことをバイ船と呼び、「バイバイ」に儲かることから、船の往復で儲かる「のこぎり商売」といわれて財をなしたそうです。
これは、全国金満家大番附ですが、一番儲かった馬場さんは、山形の本間さんと並んで番附にのっています。「本間様には及びもないが せめてなりたや殿様に」と謳われたそうですが、馬場さんも本間さんも今の貨幣価値で2000億円となっています。
チャシツには、なんと隠し金庫がありました。
見た目は古びて見えるのですが、写真に撮ると光って写ります。
2000億ですから、金庫はいりますよね。しかも分かれへんとこにね。
案内のお姉さんの説明が楽しくて、めっちゃ面白かったです。
ライトレールで富山に戻って、こんどは市内電車で移動です。
これも1日フリーきっぷで乗車できます。市内電車は5分間隔で運行していますので、市内観光には便利です。
廣貫堂資料館です。
富山といえば薬売り、薬売りといえば富山です。
入場料は無料で、栄養ドリンクのサービスもあります。
実際には見たことないですが、薬売りのイメージですね。
古文書や懸場帳、売薬版画など見ていて分かりやすく面白いです。
この道具は下桝と呼ばれています。
丸薬を数えるときに使うものですが、今も使われていいるとは驚きです。
富山県水墨美術館です。
水墨画を見たかったのですが、横山大観展が開催されていて、水墨画はあまり見られませんでした。
街中を歩いていると、富山城の前にフレームが、これに入れて撮るとええ写真が撮れる??
少し晴れ間がのぞいてきたので、富山市役所展望塔へ。
無料の展望台です。
立山連峰のほうは、分厚い雲がかかっていて何も見えませんでした。
晴れていたら、こんな絶景が見られるので、想像して楽しみました。
観光を終え、宿にチェックイン。
富山駅近くのウイークリー翔です。1泊1900円と、貧乏旅人には嬉しい価格設定です。
泊まるときに身分証明証が必要なんですが、運転免許証を持ってくるのを忘れて、会社の社員証を持っていったのですが、なんとかOKしてくれました。
夜の楽しい時間がやってきて、暖簾をくぐりました。
昨日はおとなしく早寝しましたので、今日は飲むべ~食べるべ~。
富山地酒のみくらべ三種とゆうのがあって注文。
8種類の中から選びます。
黒部峡・勝駒・三笑楽にしました。70mℓずつ入っています。
どれも美味しかったですが、勝駒が一番好みでした。
せっかく富山に来たんやから、富山のうまいもんを注文。
バイ貝の刺身です。コリコリしていて美味しいです。
醤油が甘口と辛口とあります。どう使い分けたらええんか、よう分かりませんが・・・。
甘口醤油は、富山独特の醤油です。
ほたるいか刺身です。
内蔵は寄生虫がいてるので、とってあります。ワザですね。
甘味があって、むっちゃ美味しいです。
「白エビ食べ比べ」で、刺身と昆布じめになっています。
刺身は甘味があってエビの旨さです。昆布じめの方が、私は気に入りました。
富山名物のイカ黒作りです。
イカ墨が入っているので、お箸は真っ黒になりましたが、歯にはつきませんでした。
コクがあって美味しいです。
うまい肴とうまい酒で、富山の夜はサイコーです。
2015年4月22日(水)晴
宿をチェックアウトして、あいの風とやま鉄道で高岡まで移動。
高岡駅でコインロッカーに荷物を預けて、こんどはJRで雨晴へ。
乗るときにはICカード(イコカ)で乗ったのですが、雨晴駅ではイコカは使えませんでした。
便利なんに慣れてしまって、当たり前になってしまったら、あかんですね。
ローカル線は気をつけましょう。
雨晴海岸からの眺めです。思い切りアンダーで撮ってみました。
海越しに3000m級の白い山々を間近に望むとゆうのは、世界でもこの海岸だけです。
でも、季節は春・・・。
あかんやろなと思いながら来てみたら、案の定、晴れているけど霞んでしまっています。
空気が澄む冬でないと難しいと思います。
氷見線をのんびりと列車が通り過ぎていきます。
車窓からの眺めも、ええですよ。
海岸をブラブラしながら、こちらは普通の露出で撮ってみました。
どう撮っても綺麗には写りません。
雨晴とゆう名前の由来は、かつて義経主従が奥州に落ち延びる途中にこの海岸でにわか雨にあい、弁慶が持ち上げた岩陰で雨宿りをしたとゆう「義経雨はらしの岩」の伝説からきています。
高岡駅に戻って、徒歩で散策です。
けっこう距離がありますので、歩くのが苦手な人はレンタサイクルがお薦めです。
まずは、高岡大仏です。
奈良、鎌倉と並ぶ日本三大仏に数えられ、総高15.85m、重量65tの大きさです。
「銅器のまち高岡」の象徴であり、30年の歳月をかけて完成しました。
日本一美男の大仏さんとも言われています。
大仏さんの近くには高岡古城公園があります。
400年前に加賀前田家二代当主前田利長が築いた高岡城の跡です。
その前田利長公の像です。
この日は、公園内では中学生がぎょうさん写生していました。
ここは桜の名所でもあります。もう1週間くらい早く来ていたら、桜が満開だったんでしょうが、ちょっと残念。
しばらく歩いて土蔵造りの町並み「山町筋」にある菅野家住宅です。入場料は200円です。
ここも岩瀬の森家同様、北前船で財をなした家です。
欄間の透かし彫りも見事です。
使っている材木なども、今では手に入らないような贅沢なものを使っています。
今日は外は気温がグングン上がって半袖でも暑いくらいの陽気ですが、家の中は寒くてストーブを焚いていました。土蔵って寒いんねん。夏は涼しくてええかもです。
シャンデリアです。
1灯用、2灯用とあって、これは3灯用となっています。
当時として、モダンやったんでしょうね。
中庭には、握り拳のような庭石があります。
パワースポットとして来られる方もあるようです。
お金を握って離さへんのが極意かな??
土蔵造りの町家が造られたのは、市街地の約6割を焼き尽くした明治33年の大火後です。
土蔵造りの旧家が42棟建ち並んでいます。
繁華街での建物の新築の際は防火構造のものとすることが義務付けられたため、土蔵造りが建てられました。
赤レンガの銀行です。
現役で使われています。古い建物好きにとっては、ごっつうええ感じです。
お次は金屋町へ行こうと思ったのですが、道が分からなくて誰かに聞こうと思いましたが、誰も歩いていません。高岡は、なんだかひっそりとしていて人が少なかったです。
なんとか自力で、たどり着きました。
旧南部鋳造所キューポラ(溶鉱炉)と煙突です。
高岡鋳物発祥の地である金屋町の一角にある地金を溶解するための建造物です。
明治末期から複数のキューポラが建造されましたが現在残っているのは、旧南部鋳造所のものだけとなっています。
キューポラと聞いたら、映画「キューポラのある街」を思い浮かべるのは、ジジィの証拠かな?
千本格子の家並み「金屋町」です。
鋳物産業は火災の危険があったため、千保川を挟んで高岡城下町と向かい合っている金屋町に7名の鋳物師が集められ、鋳物工場及び宅地用として約5000坪(東西50間、南北100間)の土地を与えて優遇したそうです。
高岡駅の北側を散策していましたが、高岡駅まで戻ってきて、こんどは南側の散策です。
富山県で唯一の国宝、瑞龍寺です。こちらは山門です。
瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため、三代藩主利常公によって建立された寺です。
山門をくぐって仏殿が見えてきますが、一直線に並んでいてシンメトリーが綺麗です。
額絵を見ているようです。
仏殿です。
入母屋造、一重裳階(もこし)付きの総欅造りで、屋根は当初杮(こけら)葺きでしたが、現在は総重量約47トンの鉛瓦葺きです。鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に鉄砲の弾にするためともいわれますが、実際は冬季の積雪対策のためだそうです。
鉛瓦は他には、金沢城の石川門と三十間長屋しかない、大変珍しいもんです。
法堂です。総桧造りの入母屋造、銅板葺き。内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きで、横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りで建坪186坪あります。
山門、仏殿、法堂の三つが国宝となっていますが、他の建物も素晴らしいです。
回廊です。
大伽藍を囲む周囲約300mの回廊で、北回廊、南東回廊、南西回廊からなっています。
回廊の左右は白壁となってまして、規則正しく並んだ柱と格子枠の障子戸が特徴です。
八丁道とゆう道を歩いて、前田利長墓所に到着。
大名の墓としては日本一といわれる高さ11.9mの石塔があります。
石塔下部の戸室石で造られた基壇は、約250平方メートルの三層基壇となっており、側面には狩野探幽下絵とされる130枚もの蓮華図文様が彫刻されているそうです。
とゆうのも、普段は入れず、9月13日に行われる前田利長公顕彰祭の時にのみ一般公開されているそうです。
高岡駅前には、「ドラえもん」の登場キャラクターの銅像が12体並んでいます。
高岡市出身の漫画家藤子・F・不二雄さんに因んで作られたようです。
JR氷見線には、忍者ハットリくん列車も走っています。
こちらは、氷見市出身の漫画家藤子不二雄Ⓐさんに因んで作られたようです。
氷見には、トキワ荘を再現したギャラリーもあるそうで、漫画好き、藤子先生好きの方には、魅力ではないでしょうか。
今回の旅では、ほたるいか漁が見られなかったので、また富山に来たいと思います。
予約がうまいこと取れるかなぁ。
頂妙寺・俵屋宗達「牛図」 [国内旅行]
2015年2月7日(土)晴
今年は、「琳派」という流派が誕生してから400年になります。
京都では、「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」が行なわれていて、琳派関係の文化財が伝わるお寺のいくつかが公開されています。
その中に、以前から見たいと思っていた俵屋宗達の「牛図」が見られるとあって、頂妙寺に行くことに。
寒いですが、天気がよくて行楽には絶好です。
頂妙寺の山門です。
頂妙寺の前の通りは、仁王門通りとなっていますが、
ここ頂妙寺の仁王門にちなんで名付けられた道です。
山門の傍らには、第49回 京の冬の旅の看板が掲げられていました。
寺社内に入ると正面に仁王門が見えてきます。
仁王門とゆうと、両端に金剛力士像が立っているのが一般的ですが、
頂妙寺の仁王門は、向かって左側に多聞天、向かって右側に持国天が立っています。
網目越しなので見にくいですが、快慶作(伝)とされていて、なかなかの迫力です。
仁王門の上には、豊臣秀吉から頂いた布教を許す旨がかかれた手紙を扁額にしたものがかかっています。
日蓮宗は一時期布教を禁じられた時期がありましたが、布教が許されるようになって、
布教ができる喜びを京都中に知らせるため、その時の許状を扁額にしたものが仁王門に掲げられているそうです。
拝観料は600円です。
本堂と数点の展示物があるのみです。
写真撮影は禁止です。
看板にかかっていた宗達の「牛図」です。
琳派らしい、下地が乾かないうちに次の色を落とす「たらしこみ」という技法を使っています。
牛が解き放たれて、躍動する筋肉の表現が素晴らしいです。
この一点だけを見るのに、600円は高いなぁと思いますが、見られてよかったです。
牛図は二幅あって、牛が立っているものと、もう1つは牛が座っているものがあります。
二幅いっぺんに見たいですが、一幅ずつの展示となっています。
牛図は2月12日以降に展示替えを行うそうで、座っている牛図が後半は見られるようです。
頂妙寺の山門をくぐって右側に、お墓があります。
その中に宗達のお墓があります。
墓石に「俵屋宗達」などの文字がないのでよくわからないそうです。
お墓の下に看板が置かれていました。
あくまで伝・俵屋宗達の墓とのこと。
俵屋宗達は生まれた年も、亡くなった年もわかっていません。
慶長から寛永年間に活動した江戸時代初期の画家です。
「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」で見てみたい作品は他にもあるのですが、
1ヶ所600円は高いなぁ。
団体客も訪れいて、客足は盛況でした。
3月18日までの公開となっています。
今年は、「琳派」という流派が誕生してから400年になります。
京都では、「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」が行なわれていて、琳派関係の文化財が伝わるお寺のいくつかが公開されています。
その中に、以前から見たいと思っていた俵屋宗達の「牛図」が見られるとあって、頂妙寺に行くことに。
寒いですが、天気がよくて行楽には絶好です。
頂妙寺の山門です。
頂妙寺の前の通りは、仁王門通りとなっていますが、
ここ頂妙寺の仁王門にちなんで名付けられた道です。
山門の傍らには、第49回 京の冬の旅の看板が掲げられていました。
寺社内に入ると正面に仁王門が見えてきます。
仁王門とゆうと、両端に金剛力士像が立っているのが一般的ですが、
頂妙寺の仁王門は、向かって左側に多聞天、向かって右側に持国天が立っています。
網目越しなので見にくいですが、快慶作(伝)とされていて、なかなかの迫力です。
仁王門の上には、豊臣秀吉から頂いた布教を許す旨がかかれた手紙を扁額にしたものがかかっています。
日蓮宗は一時期布教を禁じられた時期がありましたが、布教が許されるようになって、
布教ができる喜びを京都中に知らせるため、その時の許状を扁額にしたものが仁王門に掲げられているそうです。
拝観料は600円です。
本堂と数点の展示物があるのみです。
写真撮影は禁止です。
看板にかかっていた宗達の「牛図」です。
琳派らしい、下地が乾かないうちに次の色を落とす「たらしこみ」という技法を使っています。
牛が解き放たれて、躍動する筋肉の表現が素晴らしいです。
この一点だけを見るのに、600円は高いなぁと思いますが、見られてよかったです。
牛図は二幅あって、牛が立っているものと、もう1つは牛が座っているものがあります。
二幅いっぺんに見たいですが、一幅ずつの展示となっています。
牛図は2月12日以降に展示替えを行うそうで、座っている牛図が後半は見られるようです。
頂妙寺の山門をくぐって右側に、お墓があります。
その中に宗達のお墓があります。
墓石に「俵屋宗達」などの文字がないのでよくわからないそうです。
お墓の下に看板が置かれていました。
あくまで伝・俵屋宗達の墓とのこと。
俵屋宗達は生まれた年も、亡くなった年もわかっていません。
慶長から寛永年間に活動した江戸時代初期の画家です。
「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」で見てみたい作品は他にもあるのですが、
1ヶ所600円は高いなぁ。
団体客も訪れいて、客足は盛況でした。
3月18日までの公開となっています。
飛騨高山・白川郷ライトアップ・金沢 [国内旅行]
2015年1月31日(土)雪
雪景色を堪能したくて、一泊二日のツアーに行きます。
雪の時分の旅行は、トラブルも多いです。
高速道路で2ヶ所、多重クラッシュがあって下道に降りるかもと添乗員さんがゆうてましたが、
先に走っていたドライバーからの情報で、たいした渋滞でないと分かって、そのまま高速を走りました。
このへんは、添乗員とドライバーの判断なので、今回はラッキーでした。
予定通り、最初の観光地 飛騨高山に到着。
高山は一度来たことがあるので、みんなが行くところとは別のところに行ってみました。
吉島家住宅です。
名工といわれた西田伊三郎の手によって、1907(明治40)年に竣工しました。
当時はすでに幕府の禁制はなく、江戸時代の豪商の夢が表現されている建物です。
日下部民藝館です。
日下部家は天領時代屈指の商家で、屋号は谷屋といい、
代々御用商人として両替家を営んでいました。
宮地家住宅です。
明治8年の大火の後すぐに立てられた高山の標準的な町家です。
軒が低く、細長い間取りで道路側から主屋、中庭、土蔵と並んでいます。
かつては越中街道に面していて米屋、酒屋などの商売を営みながら農業も行っていました。
桜山八幡宮です。
秋の例祭は、高山祭として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
京都市の祇園祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の1つに数えられています。
時間が余ったので、観光客が集まるところも覗いてみました。
普段は、もっと人が少ないそうですが、白川郷のライトアップの時間調整に訪れる人が多いそうです。
雪吊りが綺麗です。
小腹がすいたので、串焼き屋でちょいとつまみました。
飛騨牛です。甘味があって美味しいです。
イイダコです。
こちらは、いたって普通です。
ここから、今回の旅のメイン、白川郷に向かいます。
駐車場は予約制で、バスは1日100台限定になっています。
とゆうても100台ですので、渋滞が激しいです。
17時になると村がライトアップされます。
まだ、駐車場に着く前です
早めに高山を出たのですが、それでもかなり時間がかかりました。
90分の散策時間をもらいました。
雪がけっこう降っていたので、展望台からの眺めは諦めて村の中を見てまわります。
ところどころにオブジェがあって、綺麗です。
重要文化財になっている「和田家」です。
バス100台限定ちゅうても、ざっと4000人ですから、人が多いです。
人が入っていない写真を撮るのは、なかなか難しいです。
まあ、雰囲気を楽しみましょう。
奥のほうの家には、人が少ないです。
私は、スノーブーツを履いていったので、かなりの雪深いところでも行けます。
雪の降りが、だんだんと激しくなってきました。
フラッシュをたくと、こんな感じです。
フラッシュなしだと、吹雪いているのがよく分かります。
明善寺です。
ここは、民宿になっています。
白川郷には何軒か民宿がありますが、1泊2万円以上はするそうです。
小さなオブジェをパチリ。
あっとゆうまの90分でした。
気温は氷点下ですので、防寒と足元はしっかり対策をしていって下さい。
早めに、白川郷に着いたので、出るときは渋滞に巻き込まれませんでした。
宿のある金沢に向かいます。
バス車中でお弁当をいただきました。
高山の串焼き屋のおじさんが、金沢ならおでんがお薦めとゆうていたので、
金沢の夜の街に繰り出して何軒か回ったのですが、満員だったりして食べることが出来ませんでした。
残念、次の機会に食べたいです。
2015年2月1日(日)雪
今日も、朝から雪です。
朝食は、ホテルのバイキングです。
和洋のバイキングでしたが、あんまり洋の物がありませんでした。
10時にホテルを出発して、金沢市内の観光です。
まずは、近江町市場に向かいます。
日曜日で閉まっているいる店も多いです。
食事できるとろこもありますが、朝食を食べたばかりなので、お腹がいっぱいです。
ツアーなので、仕方がないですね。
大阪で買うようりは、安く手に入るようです。
次は、兼六園に向かう予定でしたが、観光客が多いようなので、先にひがし茶屋街へ行くことに。
今回の添乗員さんは、なかなか機転の利く人で、よかったです。
ひがし茶屋街は1820(文政3)年、加賀藩が城下のお茶屋を集めて誕生した藩公認の茶屋街です。当時は、上流階級だけが出入りを許された場所で、今でも「一見さんお断り」のお茶屋が多いです。
石畳が綺麗です。
「志摩」です。
1820(文政3)年、茶屋街創設当初に建てられた茶屋建築です。
茶屋建築は、二階を客間(座敷)とするため、二階部分を高くつくり、
通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けているのが特徴です。
重要文化財に指定されています。
格子が綺麗です。
金沢、最後の観光は兼六園です。
兼六園は、加賀藩の歴代藩主が長い年月をかけて造成した庭であり、江戸時代の大名庭園の代表格で、日本三名園の一つに数えられています。(あとの二つは、岡山の後楽園と水戸の偕楽園です)
兼六園の名は、六勝からきています。
六勝とは、「宏大・幽邃・蒼古・人力・水泉・眺望」のことで、本来、兼ね備えることが難しい六つの景観があるため、兼六園とゆう名が付いたとされています。
ガイドさんと一緒に巡っていきます。
徽軫灯籠(ことじとうろう)です。
徽軫灯籠は、形が琴にいと(いとは)を支える駒に似ていることに由来しています。
唐崎松です。
13代藩主斉泰が近江八景の一つ「琵琶湖の唐崎」から種子を取り寄せて育てた黒松です。
兼六園の冬の名物、雪吊りですが、最近は降雪量が減って、雪をかぶった風景はなかなか見られません。
一番寒い時期を選んだのですが、それでもあきませんでした。
日本武尊の像です。5.5mの銅像です。
台石のところが、蛇やカエルの形になっています。
この像には鳥が近づかないのですが、銅像の成分に微量のヒ素が含まれているからだそうです。
根上松です。
13代藩主斉泰が盛り上げた土に若松を植え、成長後に土を取り除いて根をあらわにしたと伝えられています。大小40数本の根が地上2mくらいまでせり上がっています。
霞ケ池と内橋亭です。
霞ケ池は、1837(天保8)年に掘り広げられた池で、広さは5800平方メートルあります。
いったん、ガイドさんの説明は終わって、自由時間です。
私は、もう一周してみます。
雁行橋です。
雁が夕空に列をなして飛んでいく姿を11枚の戸室石で表現する橋です。
石の形が亀の甲羅に見えることから、別名「亀甲橋」とも呼ばれています。
梅林がありました。
まだ、花は咲いていませんでしたが、蕾は雪にまけじと膨らんでいました。
瓢池です。
かつて蓮池庭と呼ばれた兼六園発祥の地にあります。
瓢箪の形をした池には、6.6mの落差がある翠滝を経て、霞ケ池の水が注がれています。
瓢箪の形をしているので、後に瓢池となったそうです。
夕顔亭です。
1774(安永3)年に建てられた当時の姿を今に伝える茶亭です。
本席は小間ながら本格的な茶事を催せるようになっています。
黄門橋です。
上下2枚の石を重ねたように1枚の石を立体的に加工した橋です。
長さは6mです。
ここでゆう黄門は、中納言の官位を持っていた3代藩主利常を指しています。
噴水です。
日本最古と伝わる噴水です。
「逆サイフォンの原理」が使われており、噴水よりも高い場所にある霞ケ池から水を引き、高さ3.5mまで噴き上げています。
石川門です。
三十門長屋とともに旧金沢城の数少ない遺構の一つです。
白く輝いている屋根は、鉛瓦です。
今回は時間がなくて、眺めるだけです。
帰りの高速も、渋滞や速度制限、チェーン規制もなく、スムーズに帰ってこられました。
予定よりも1時間半くらい早く、大阪に着きました。
金沢は、まだ見てみたいところがあって、また訪れてみたいです。
雪景色を堪能したくて、一泊二日のツアーに行きます。
雪の時分の旅行は、トラブルも多いです。
高速道路で2ヶ所、多重クラッシュがあって下道に降りるかもと添乗員さんがゆうてましたが、
先に走っていたドライバーからの情報で、たいした渋滞でないと分かって、そのまま高速を走りました。
このへんは、添乗員とドライバーの判断なので、今回はラッキーでした。
予定通り、最初の観光地 飛騨高山に到着。
高山は一度来たことがあるので、みんなが行くところとは別のところに行ってみました。
吉島家住宅です。
名工といわれた西田伊三郎の手によって、1907(明治40)年に竣工しました。
当時はすでに幕府の禁制はなく、江戸時代の豪商の夢が表現されている建物です。
日下部民藝館です。
日下部家は天領時代屈指の商家で、屋号は谷屋といい、
代々御用商人として両替家を営んでいました。
宮地家住宅です。
明治8年の大火の後すぐに立てられた高山の標準的な町家です。
軒が低く、細長い間取りで道路側から主屋、中庭、土蔵と並んでいます。
かつては越中街道に面していて米屋、酒屋などの商売を営みながら農業も行っていました。
桜山八幡宮です。
秋の例祭は、高山祭として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
京都市の祇園祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の1つに数えられています。
時間が余ったので、観光客が集まるところも覗いてみました。
普段は、もっと人が少ないそうですが、白川郷のライトアップの時間調整に訪れる人が多いそうです。
雪吊りが綺麗です。
小腹がすいたので、串焼き屋でちょいとつまみました。
飛騨牛です。甘味があって美味しいです。
イイダコです。
こちらは、いたって普通です。
ここから、今回の旅のメイン、白川郷に向かいます。
駐車場は予約制で、バスは1日100台限定になっています。
とゆうても100台ですので、渋滞が激しいです。
17時になると村がライトアップされます。
まだ、駐車場に着く前です
早めに高山を出たのですが、それでもかなり時間がかかりました。
90分の散策時間をもらいました。
雪がけっこう降っていたので、展望台からの眺めは諦めて村の中を見てまわります。
ところどころにオブジェがあって、綺麗です。
重要文化財になっている「和田家」です。
バス100台限定ちゅうても、ざっと4000人ですから、人が多いです。
人が入っていない写真を撮るのは、なかなか難しいです。
まあ、雰囲気を楽しみましょう。
奥のほうの家には、人が少ないです。
私は、スノーブーツを履いていったので、かなりの雪深いところでも行けます。
雪の降りが、だんだんと激しくなってきました。
フラッシュをたくと、こんな感じです。
フラッシュなしだと、吹雪いているのがよく分かります。
明善寺です。
ここは、民宿になっています。
白川郷には何軒か民宿がありますが、1泊2万円以上はするそうです。
小さなオブジェをパチリ。
あっとゆうまの90分でした。
気温は氷点下ですので、防寒と足元はしっかり対策をしていって下さい。
早めに、白川郷に着いたので、出るときは渋滞に巻き込まれませんでした。
宿のある金沢に向かいます。
バス車中でお弁当をいただきました。
高山の串焼き屋のおじさんが、金沢ならおでんがお薦めとゆうていたので、
金沢の夜の街に繰り出して何軒か回ったのですが、満員だったりして食べることが出来ませんでした。
残念、次の機会に食べたいです。
2015年2月1日(日)雪
今日も、朝から雪です。
朝食は、ホテルのバイキングです。
和洋のバイキングでしたが、あんまり洋の物がありませんでした。
10時にホテルを出発して、金沢市内の観光です。
まずは、近江町市場に向かいます。
日曜日で閉まっているいる店も多いです。
食事できるとろこもありますが、朝食を食べたばかりなので、お腹がいっぱいです。
ツアーなので、仕方がないですね。
大阪で買うようりは、安く手に入るようです。
次は、兼六園に向かう予定でしたが、観光客が多いようなので、先にひがし茶屋街へ行くことに。
今回の添乗員さんは、なかなか機転の利く人で、よかったです。
ひがし茶屋街は1820(文政3)年、加賀藩が城下のお茶屋を集めて誕生した藩公認の茶屋街です。当時は、上流階級だけが出入りを許された場所で、今でも「一見さんお断り」のお茶屋が多いです。
石畳が綺麗です。
「志摩」です。
1820(文政3)年、茶屋街創設当初に建てられた茶屋建築です。
茶屋建築は、二階を客間(座敷)とするため、二階部分を高くつくり、
通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けているのが特徴です。
重要文化財に指定されています。
格子が綺麗です。
金沢、最後の観光は兼六園です。
兼六園は、加賀藩の歴代藩主が長い年月をかけて造成した庭であり、江戸時代の大名庭園の代表格で、日本三名園の一つに数えられています。(あとの二つは、岡山の後楽園と水戸の偕楽園です)
兼六園の名は、六勝からきています。
六勝とは、「宏大・幽邃・蒼古・人力・水泉・眺望」のことで、本来、兼ね備えることが難しい六つの景観があるため、兼六園とゆう名が付いたとされています。
ガイドさんと一緒に巡っていきます。
徽軫灯籠(ことじとうろう)です。
徽軫灯籠は、形が琴にいと(いとは)を支える駒に似ていることに由来しています。
唐崎松です。
13代藩主斉泰が近江八景の一つ「琵琶湖の唐崎」から種子を取り寄せて育てた黒松です。
兼六園の冬の名物、雪吊りですが、最近は降雪量が減って、雪をかぶった風景はなかなか見られません。
一番寒い時期を選んだのですが、それでもあきませんでした。
日本武尊の像です。5.5mの銅像です。
台石のところが、蛇やカエルの形になっています。
この像には鳥が近づかないのですが、銅像の成分に微量のヒ素が含まれているからだそうです。
根上松です。
13代藩主斉泰が盛り上げた土に若松を植え、成長後に土を取り除いて根をあらわにしたと伝えられています。大小40数本の根が地上2mくらいまでせり上がっています。
霞ケ池と内橋亭です。
霞ケ池は、1837(天保8)年に掘り広げられた池で、広さは5800平方メートルあります。
いったん、ガイドさんの説明は終わって、自由時間です。
私は、もう一周してみます。
雁行橋です。
雁が夕空に列をなして飛んでいく姿を11枚の戸室石で表現する橋です。
石の形が亀の甲羅に見えることから、別名「亀甲橋」とも呼ばれています。
梅林がありました。
まだ、花は咲いていませんでしたが、蕾は雪にまけじと膨らんでいました。
瓢池です。
かつて蓮池庭と呼ばれた兼六園発祥の地にあります。
瓢箪の形をした池には、6.6mの落差がある翠滝を経て、霞ケ池の水が注がれています。
瓢箪の形をしているので、後に瓢池となったそうです。
夕顔亭です。
1774(安永3)年に建てられた当時の姿を今に伝える茶亭です。
本席は小間ながら本格的な茶事を催せるようになっています。
黄門橋です。
上下2枚の石を重ねたように1枚の石を立体的に加工した橋です。
長さは6mです。
ここでゆう黄門は、中納言の官位を持っていた3代藩主利常を指しています。
噴水です。
日本最古と伝わる噴水です。
「逆サイフォンの原理」が使われており、噴水よりも高い場所にある霞ケ池から水を引き、高さ3.5mまで噴き上げています。
石川門です。
三十門長屋とともに旧金沢城の数少ない遺構の一つです。
白く輝いている屋根は、鉛瓦です。
今回は時間がなくて、眺めるだけです。
帰りの高速も、渋滞や速度制限、チェーン規制もなく、スムーズに帰ってこられました。
予定よりも1時間半くらい早く、大阪に着きました。
金沢は、まだ見てみたいところがあって、また訪れてみたいです。
沖縄 グスク巡り [国内旅行]
2014年11月19日(水) 大阪晴 沖縄曇
去年果たせなかったグスク巡りをするために、1年ぶりに沖縄に行きます。
最初はツアーで九州へ紅葉を見にいこうと思っていたのですが、
人が集まらなくてキャンセルになって急遽沖縄に行くことにしました。
いつもながらピーチ(飛行機)を利用しての旅ですが、
間近になって予約したのでちょっと割高になって往復で13,910円でした。
定刻出発の定刻到着で、無事に那覇空港に到着。
気温は22℃。暑いです。
ゆいレールで県庁前駅に到着。
今回の宿は、まほろばです。
宿の予約も遅かったので、1,500円の部屋はなくて、1泊2,000円の部屋で予約しました。
チェックインをしたら、遅かったねと言われましたが、
14時半くらいに到着とゆうといて、14時40分くらいだったのですが、沖縄の人にしてはイラチです。
宿の人は、今日は寒いとゆうていたので、普段はもっと気温が高いのでしょうね。
再び、ゆいレールに乗って、おもろまち駅へ。
そこから歩いて沖縄県立博物館へ。
ゆいレール1日券を持っていたので、割り引いてもらって330円の入場料でした。
屋外には、シーシがいてました。
村落の出入り口に置いて魔除けとしていたものです。
ミルク神です。
豊年祭などの祭りに登場する来訪神です。
仏教の弥勒信仰と沖縄の古い信仰が混ざり合ってミルク神となったそうです。
サバニです。
沖縄を代表する伝統的な舟です。
歌の文句ではよく聞いていましたが、実物を見るのは初めてです。
線刻石板です。
沖縄島中部のグスクや拝所を中心とした場所から発見されていて、現在11点が存在しています。
沖縄のロゼッタストーンと呼ばれていますが、何に使ったのかは分かっていません。
思っていたより内容が充実していて、もっとゆっくりと見ていたかったのですが、
時間がなくて残念でした。
灯り点し頃となり、居酒屋の暖簾をくぐりました。
しちゅうまち(あおだい)刺身です。
沖縄で刺身を食べるのは初めてです。
味はまあまあです。
ハンダマのサラダです。
沖縄では古くから血の薬、不老長寿の薬と いわれ、増血、止血、貧血に効果があるとされています。
お酒は、やはり泡盛です。
忠孝の3年古酒にしました。
美味しいのですが、これが後々災いをもたらすとは思いもしませんでした。
島ダコの刺身です。
普通のタコとあんまり変わりません。
次々と料理を食べて、泡盛を飲んでと、気持ちよく酔っていたのですが、
ちょっと大きい瓶で頼んだのと、連日の睡眠不足がたたって、かなり酔っ払ってしまいました。
いろいろな人に多大な迷惑を掛けてしまいました。
大変申し訳ございませんでした。心からお詫び申し上げます。
2014年11月20日(木) 晴後曇
今日は、バイクをレンタルしてグスク巡りをする予定です。
ガンガンする頭を抱えて、なんとか起きてレンタルバイクショップへ。
レンタルしたバイクは、アドレスV125Sです。
1日借りて2,400円です。
半キャップヘルメットも借りて、こちらは200円でした。
途中、コンビニに寄って水を買うて、ガブガブと飲んで走りました。
昨日の酒が残っていて、飲酒検問受けたらアウトやったかもしれません。
先ずは、中城(なかぐすく)城跡を目指します。
ちなみに、グスクとは旧琉球王国領域に、多数存在する古琉球時代(グスク時代)の遺跡のことです。
一番有名なグスクは首里城でしょうね。
最盛期には300以上のグスクがあったそうです。
中城城跡に到着。
中城城は、14世紀後半に先中城按司(さちなかぐすくあじ)
が築城したと言われていますが詳細については判っていません。
2000年に日本で11件目の世界遺産として登録されています。
入場料は400円です。
裏門から入っていきます。
ペリー探検隊一行がエジプト式と評した、精巧なアーチ型で出来ています。
美しい門です。
二の郭です。
城壁の石垣は二段になっていて内側に人が通れるような道が作られています。
これは「武者走り」と言われていて、身を隠しながら敵を見張ったり、
矢を射たりするためのものだそうです。
二つ目の門をくぐっていきます。
これも美しい門です。
一の郭です。
中城城の中で最も高い位置にあり面積も最も広い郭です。
正面に見える門は「一の郭」と「二の郭」の間を結ぶアーチ型の門です。
標高167mの高台にあるので、海が綺麗に見えます。
正門です。
正門は他の門に見られるようなアーチ型ではなく、2つの石門の間に櫓が乗った
「櫓門」といわれる形をしています。
綺麗なグスクで見応えがありました。
5分ほど走って、中村家住宅に到着。
中村家住宅は戦前の沖縄の住居建築の特色を全て備えている建物です。
当時の上層農家の生活を知る上にも、貴重な遺構であるということで、
国の重要文化財に指定されています。
入場料は500円です。
アサギ(離れ)です。
琉球王朝時代、首里王府の役人が、近くの中城問切(現在の北中城村と中城村)の番所(役所)へ地方巡視に来た際に、宿泊所として使われたといわれています
イチバンザ(客間)です。
涼しげで気持ち良さそうです。
お次は、勝連(かつれん)城跡を目指していたのですが、
道しるべに沿って走っていたら、海中道路に来てしまいました。
こちらも来たかったから、よかったのですが・・・。
海中道路は、勝連半島から平安座島を結ぶ4.7kmの道路です。
100km以上ですっ飛ばしている車もいてました。
ちゅら海です。
気持ちのえぇ景色です。
こんどこそ、勝連城後です。
11~12世紀の築城と考えられています。
立派なグスクです。ここも世界遺産です。
急な階段を上っていきます。
明日は筋肉痛やなぁと、お姉さん達がゆうてはりました。
石積みが綺麗です。
インカの石組みにも負けへんくらいです。
二の曲輪です。
殿舎跡だそうで、正面が約17m、奥行きが約14.5mあります。
殿舎跡の四隅に造られた、長方形の石灰岩による石積み。
どのような意味があったのかは、分かっていないそうです。
一の曲輪からの眺めです。
海が綺麗です。
作業服を着たお兄さんがたも、景色を眺めながら休憩してはりました。
ここから1時間くらい走りました。
大きな基地などを眺めながら、改めて沖縄は基地の島やと実感。
バイクで走っていると、Yナンバーの車をたまに見かけます。
Yナンバーは米軍所属の人が、日本国内で調達された私有車両だそうです。
沖縄県民の中には、「Yナンバーに気をつけろ」という言葉があるそうです。
事故にあっても、米軍関係者の場合、保障が受けられないことなどがあるからだそうで、
私も、近寄らないようにしていました。
座喜味(ざきみ)城跡です。
築城家として名高い護佐丸(ごさまる)が築いた城で、
沖縄で最も古いアーチ門を有していることで有名です。
ここも世界遺産です。
一つ目の門をくぐって中に入っていきます。
城壁と海と空の取り合わせが綺麗です。
一部の城壁は登れるようになっていて、城壁上からの眺めです。
二つの門と遠くに東シナ海が綺麗に見えます。
座喜味城跡は、夜間ライトアップされています。
夜のグスクも綺麗でしょうね。
残波岬灯台です。
隆起サンゴ礁の断崖なので、歩きにくいです。
中国人の観光客がメッチャ多くて、写真を撮りまくっていました。
残波岬公園の中に山羊がいてました。
すぐ近くにレストランがあるので、食用の山羊でしょうね。
残波大獅子です。
シーサーは、可愛らしいイメージですが、
こちらはどうゆう意味があるのか分かりませんが、迫力があります。
帰りは国道58号を南下して那覇に戻ってきましたが、聞きしに勝る混雑具合でした。
地元のライダーは車の間を縫うように走っていました。
最初は、ゆっくりと走っていたのですが、私も真似して同じように走りました。
イラチなんで、車では走りたくない道ですね。
無事、那覇に到着。
ガソリンは満タン返しです。
借りていたヘルメットのツバが折れてしまったのですが、堪忍してくれました。
昨日から迷惑をかけてばっかりです。申し訳ございませんでした。
昨夜に懲りず、今夜も赤ちょうちんに誘われて、沖縄おでん屋さんへ。
沖縄おでんは石垣島ではまって、また食べてみたいと思っていました。
チマグ(豚足)・ゆば・ロールキャベツ・ウインナー・ホタテです。
沖縄のおでんで、チマグは初めて食べましたが、トロトロでめっちゃ美味しいです。
飲み物は、もちろん泡盛です。
沖縄おでんは、カツオと豚ダシで作るそうです。
関西おでんよりは味は濃いですが、美味しいです。
この店は2,000円で飲み食べ放題です。
ビールと酎ハイは制限がありますが、泡盛は飲み放題です。
おでん以外にも、刺身や色々なおかずがあります。
定番のテビチ(スネ肉)、しいたけ、魚豆腐、葉野菜、たまごです。
沖縄のコンビニおでんでも、テビチは必ずあります。
ここのおでんは美味しいのですが、ぬるい!!!
こんなにぬるくては、ダチョウ倶楽部のネタも出来ません。
唯一、それが残念でした。
2014年11月21日(金)晴
7時半にチェックアウトしました。
宿で荷物を預かってもらおうと思っていたのですが、宿の人が出かけてました。
のんびりしたもんです。
路線バスに乗って、泡盛工場見学の予約をしている豊見城市の忠孝蔵へ。
40分ほどバスに揺られて到着。
くぅーすの杜 忠孝蔵です。
親子三代で泡盛造りに精を出しています。
パネルの前で、まずはDVDを10分ほど見ます。
その後は、お姉さんが案内してくれます。
黒麹菌です。
泡盛は伝統的に黒麹菌を使っているのが大きな特徴です。
そして、黒麹菌を使って酒造りを行っているのは、世界的に見ても珍しいのです。
蒸し器と地釜常圧蒸留機です。
沖縄本島では唯一の地釜蒸留による蒸留が行われています。
醪の仕込みが行われています。
10日ほど立ったところです。
土にもこだわっていて、土造りから自社で行っており、
2種類の土をブレンドして、焼成に適した土を作り出しています。
古酒熟成用の甕は、漏れがあってはいけないので固く焼き締めを行う必要があります。
上薬(うわぐすり)を使えば漏れ防止になりますが、熟成は進みにくくなります。
だから焼締めにこだわります。
どれだけ焼締められるのか、よく分かります。
表面の窯変による模様の変化は薪の窯によるものです。
炎の跡が、ひとつひとつ違います。
自分の古酒造り用に求める人も多いそうで、甕に入れて熟成を待ちます。
めっちゃ楽しみでしょうね。
世界平和を願って、
甕に泡盛を注ぐミスユニバース達です。
その甕です。
みんなのメッセージが書かれています。
ベッピンさんが入れた泡盛は、さらに美味しくなっているかもです。
工場見学の後は、お楽しみ試飲タイムです。
ブレンドした泡盛など、珍しいものもありました。
新しい泡盛造りに挑戦している蔵は応援したくなります。
応援するには泡盛を飲みましょう。
とゆうわけで、泡盛を買いました。
再び、バスにのって那覇市内へと戻ってきました。
昼食は沖縄での名物、ステーキに。
オーストラリア産サーロインステーキ、300gにしました。
単品で2,350円です。
グラスワインが700円でした。
肉は安いですが、お酒は高いです。
お肉は柔らかくて、めっちゃ美味しかったです。
これなら1パウンドでもペロリといけそうです。
失敗もあった沖縄グスク巡りでしたが、歴史と食と泡盛と堪能できた旅でした。
去年果たせなかったグスク巡りをするために、1年ぶりに沖縄に行きます。
最初はツアーで九州へ紅葉を見にいこうと思っていたのですが、
人が集まらなくてキャンセルになって急遽沖縄に行くことにしました。
いつもながらピーチ(飛行機)を利用しての旅ですが、
間近になって予約したのでちょっと割高になって往復で13,910円でした。
定刻出発の定刻到着で、無事に那覇空港に到着。
気温は22℃。暑いです。
ゆいレールで県庁前駅に到着。
今回の宿は、まほろばです。
宿の予約も遅かったので、1,500円の部屋はなくて、1泊2,000円の部屋で予約しました。
チェックインをしたら、遅かったねと言われましたが、
14時半くらいに到着とゆうといて、14時40分くらいだったのですが、沖縄の人にしてはイラチです。
宿の人は、今日は寒いとゆうていたので、普段はもっと気温が高いのでしょうね。
再び、ゆいレールに乗って、おもろまち駅へ。
そこから歩いて沖縄県立博物館へ。
ゆいレール1日券を持っていたので、割り引いてもらって330円の入場料でした。
屋外には、シーシがいてました。
村落の出入り口に置いて魔除けとしていたものです。
ミルク神です。
豊年祭などの祭りに登場する来訪神です。
仏教の弥勒信仰と沖縄の古い信仰が混ざり合ってミルク神となったそうです。
サバニです。
沖縄を代表する伝統的な舟です。
歌の文句ではよく聞いていましたが、実物を見るのは初めてです。
線刻石板です。
沖縄島中部のグスクや拝所を中心とした場所から発見されていて、現在11点が存在しています。
沖縄のロゼッタストーンと呼ばれていますが、何に使ったのかは分かっていません。
思っていたより内容が充実していて、もっとゆっくりと見ていたかったのですが、
時間がなくて残念でした。
灯り点し頃となり、居酒屋の暖簾をくぐりました。
しちゅうまち(あおだい)刺身です。
沖縄で刺身を食べるのは初めてです。
味はまあまあです。
ハンダマのサラダです。
沖縄では古くから血の薬、不老長寿の薬と いわれ、増血、止血、貧血に効果があるとされています。
お酒は、やはり泡盛です。
忠孝の3年古酒にしました。
美味しいのですが、これが後々災いをもたらすとは思いもしませんでした。
島ダコの刺身です。
普通のタコとあんまり変わりません。
次々と料理を食べて、泡盛を飲んでと、気持ちよく酔っていたのですが、
ちょっと大きい瓶で頼んだのと、連日の睡眠不足がたたって、かなり酔っ払ってしまいました。
いろいろな人に多大な迷惑を掛けてしまいました。
大変申し訳ございませんでした。心からお詫び申し上げます。
2014年11月20日(木) 晴後曇
今日は、バイクをレンタルしてグスク巡りをする予定です。
ガンガンする頭を抱えて、なんとか起きてレンタルバイクショップへ。
レンタルしたバイクは、アドレスV125Sです。
1日借りて2,400円です。
半キャップヘルメットも借りて、こちらは200円でした。
途中、コンビニに寄って水を買うて、ガブガブと飲んで走りました。
昨日の酒が残っていて、飲酒検問受けたらアウトやったかもしれません。
先ずは、中城(なかぐすく)城跡を目指します。
ちなみに、グスクとは旧琉球王国領域に、多数存在する古琉球時代(グスク時代)の遺跡のことです。
一番有名なグスクは首里城でしょうね。
最盛期には300以上のグスクがあったそうです。
中城城跡に到着。
中城城は、14世紀後半に先中城按司(さちなかぐすくあじ)
が築城したと言われていますが詳細については判っていません。
2000年に日本で11件目の世界遺産として登録されています。
入場料は400円です。
裏門から入っていきます。
ペリー探検隊一行がエジプト式と評した、精巧なアーチ型で出来ています。
美しい門です。
二の郭です。
城壁の石垣は二段になっていて内側に人が通れるような道が作られています。
これは「武者走り」と言われていて、身を隠しながら敵を見張ったり、
矢を射たりするためのものだそうです。
二つ目の門をくぐっていきます。
これも美しい門です。
一の郭です。
中城城の中で最も高い位置にあり面積も最も広い郭です。
正面に見える門は「一の郭」と「二の郭」の間を結ぶアーチ型の門です。
標高167mの高台にあるので、海が綺麗に見えます。
正門です。
正門は他の門に見られるようなアーチ型ではなく、2つの石門の間に櫓が乗った
「櫓門」といわれる形をしています。
綺麗なグスクで見応えがありました。
5分ほど走って、中村家住宅に到着。
中村家住宅は戦前の沖縄の住居建築の特色を全て備えている建物です。
当時の上層農家の生活を知る上にも、貴重な遺構であるということで、
国の重要文化財に指定されています。
入場料は500円です。
アサギ(離れ)です。
琉球王朝時代、首里王府の役人が、近くの中城問切(現在の北中城村と中城村)の番所(役所)へ地方巡視に来た際に、宿泊所として使われたといわれています
イチバンザ(客間)です。
涼しげで気持ち良さそうです。
お次は、勝連(かつれん)城跡を目指していたのですが、
道しるべに沿って走っていたら、海中道路に来てしまいました。
こちらも来たかったから、よかったのですが・・・。
海中道路は、勝連半島から平安座島を結ぶ4.7kmの道路です。
100km以上ですっ飛ばしている車もいてました。
ちゅら海です。
気持ちのえぇ景色です。
こんどこそ、勝連城後です。
11~12世紀の築城と考えられています。
立派なグスクです。ここも世界遺産です。
急な階段を上っていきます。
明日は筋肉痛やなぁと、お姉さん達がゆうてはりました。
石積みが綺麗です。
インカの石組みにも負けへんくらいです。
二の曲輪です。
殿舎跡だそうで、正面が約17m、奥行きが約14.5mあります。
殿舎跡の四隅に造られた、長方形の石灰岩による石積み。
どのような意味があったのかは、分かっていないそうです。
一の曲輪からの眺めです。
海が綺麗です。
作業服を着たお兄さんがたも、景色を眺めながら休憩してはりました。
ここから1時間くらい走りました。
大きな基地などを眺めながら、改めて沖縄は基地の島やと実感。
バイクで走っていると、Yナンバーの車をたまに見かけます。
Yナンバーは米軍所属の人が、日本国内で調達された私有車両だそうです。
沖縄県民の中には、「Yナンバーに気をつけろ」という言葉があるそうです。
事故にあっても、米軍関係者の場合、保障が受けられないことなどがあるからだそうで、
私も、近寄らないようにしていました。
座喜味(ざきみ)城跡です。
築城家として名高い護佐丸(ごさまる)が築いた城で、
沖縄で最も古いアーチ門を有していることで有名です。
ここも世界遺産です。
一つ目の門をくぐって中に入っていきます。
城壁と海と空の取り合わせが綺麗です。
一部の城壁は登れるようになっていて、城壁上からの眺めです。
二つの門と遠くに東シナ海が綺麗に見えます。
座喜味城跡は、夜間ライトアップされています。
夜のグスクも綺麗でしょうね。
残波岬灯台です。
隆起サンゴ礁の断崖なので、歩きにくいです。
中国人の観光客がメッチャ多くて、写真を撮りまくっていました。
残波岬公園の中に山羊がいてました。
すぐ近くにレストランがあるので、食用の山羊でしょうね。
残波大獅子です。
シーサーは、可愛らしいイメージですが、
こちらはどうゆう意味があるのか分かりませんが、迫力があります。
帰りは国道58号を南下して那覇に戻ってきましたが、聞きしに勝る混雑具合でした。
地元のライダーは車の間を縫うように走っていました。
最初は、ゆっくりと走っていたのですが、私も真似して同じように走りました。
イラチなんで、車では走りたくない道ですね。
無事、那覇に到着。
ガソリンは満タン返しです。
借りていたヘルメットのツバが折れてしまったのですが、堪忍してくれました。
昨日から迷惑をかけてばっかりです。申し訳ございませんでした。
昨夜に懲りず、今夜も赤ちょうちんに誘われて、沖縄おでん屋さんへ。
沖縄おでんは石垣島ではまって、また食べてみたいと思っていました。
チマグ(豚足)・ゆば・ロールキャベツ・ウインナー・ホタテです。
沖縄のおでんで、チマグは初めて食べましたが、トロトロでめっちゃ美味しいです。
飲み物は、もちろん泡盛です。
沖縄おでんは、カツオと豚ダシで作るそうです。
関西おでんよりは味は濃いですが、美味しいです。
この店は2,000円で飲み食べ放題です。
ビールと酎ハイは制限がありますが、泡盛は飲み放題です。
おでん以外にも、刺身や色々なおかずがあります。
定番のテビチ(スネ肉)、しいたけ、魚豆腐、葉野菜、たまごです。
沖縄のコンビニおでんでも、テビチは必ずあります。
ここのおでんは美味しいのですが、ぬるい!!!
こんなにぬるくては、ダチョウ倶楽部のネタも出来ません。
唯一、それが残念でした。
2014年11月21日(金)晴
7時半にチェックアウトしました。
宿で荷物を預かってもらおうと思っていたのですが、宿の人が出かけてました。
のんびりしたもんです。
路線バスに乗って、泡盛工場見学の予約をしている豊見城市の忠孝蔵へ。
40分ほどバスに揺られて到着。
くぅーすの杜 忠孝蔵です。
親子三代で泡盛造りに精を出しています。
パネルの前で、まずはDVDを10分ほど見ます。
その後は、お姉さんが案内してくれます。
黒麹菌です。
泡盛は伝統的に黒麹菌を使っているのが大きな特徴です。
そして、黒麹菌を使って酒造りを行っているのは、世界的に見ても珍しいのです。
蒸し器と地釜常圧蒸留機です。
沖縄本島では唯一の地釜蒸留による蒸留が行われています。
醪の仕込みが行われています。
10日ほど立ったところです。
土にもこだわっていて、土造りから自社で行っており、
2種類の土をブレンドして、焼成に適した土を作り出しています。
古酒熟成用の甕は、漏れがあってはいけないので固く焼き締めを行う必要があります。
上薬(うわぐすり)を使えば漏れ防止になりますが、熟成は進みにくくなります。
だから焼締めにこだわります。
どれだけ焼締められるのか、よく分かります。
表面の窯変による模様の変化は薪の窯によるものです。
炎の跡が、ひとつひとつ違います。
自分の古酒造り用に求める人も多いそうで、甕に入れて熟成を待ちます。
めっちゃ楽しみでしょうね。
世界平和を願って、
甕に泡盛を注ぐミスユニバース達です。
その甕です。
みんなのメッセージが書かれています。
ベッピンさんが入れた泡盛は、さらに美味しくなっているかもです。
工場見学の後は、お楽しみ試飲タイムです。
ブレンドした泡盛など、珍しいものもありました。
新しい泡盛造りに挑戦している蔵は応援したくなります。
応援するには泡盛を飲みましょう。
とゆうわけで、泡盛を買いました。
再び、バスにのって那覇市内へと戻ってきました。
昼食は沖縄での名物、ステーキに。
オーストラリア産サーロインステーキ、300gにしました。
単品で2,350円です。
グラスワインが700円でした。
肉は安いですが、お酒は高いです。
お肉は柔らかくて、めっちゃ美味しかったです。
これなら1パウンドでもペロリといけそうです。
失敗もあった沖縄グスク巡りでしたが、歴史と食と泡盛と堪能できた旅でした。