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志の輔らくご in 森ノ宮 2018 [落語]

2018年6月22日(金)

立川志の輔さんの落語会に行ってきました。

場所は、森ノ宮ピロティホール。ここでの志の輔らくごは、9回目です。
縄文・弥生時代から江戸時代初期の遺構や遺物を保存するために、特殊梁によるピロティ方式(高床式)を採用した全国でも珍しい劇場です。
客席1030席。落語会としては大きすぎるかなぁと思っていたのですが、傾斜があって 見やすかったです。
それは演者側も同じ思いで、志の輔さんも大きいがやりやすいとゆうてはりました。

開口一番は、お弟子さんで二席目が志の輔さんで「ハナコ」です。

志の輔ワールド満開の新作落語で、大爆笑の連続で笑い転げました。
志の輔さんは、大好きな落語家で何回もチケットを取ろうと思いながら取れず、今回ひょんなことで取れて念願かない、めっちゃ嬉しかったです。

新作落語は、いろんな落語家の作品を聞いてきましたが、ユーモア・発想・構成・風刺などなど志の輔さんが一番だと思います。映像で観るより生は、断然面白いです。

休憩を挟んで、副題にもなっている「大河への道〜伊能忠敬物語」です。
90分の大作ですが、あっとゆう間に90分がたっていました。感動の大作です。

伊能忠敬、50歳から歩いて測量し、日本で初めて地図を作った人とゆう認識くらいしかなかったです。
志の輔さんも、そんな認識だったのですが、伊能忠敬記念館を訪れて衝撃を受け、4年かけて新作落語に仕上げました。

商人だった三治郎は、天明の大飢饉で村の人々を救い苗字帯刀を許され、伊能忠敬となりました。
50歳で家督をゆずり隠居し、房総から江戸に出て19歳年下の天文学者、高橋至時に弟子入り。
55歳から17年かけて、4万km(地球一周分の距離)を歩き、 「伊能図」と呼ばれる日本地図を描きました。その動機は、「地球の大きさを知りたい」という好奇心からです。

最初は、自らの財産を使って北海道の南側を測量。
その完成度の高さから、幕府が費用を出してくれ通行手形を貰い、ひたすら歩いて測量。
72歳まで歩き続け、73歳で亡くなりました。
亡くなったことを幕府に隠して、その3年後に「伊能図」が完成。
忠敬は「伊能図」を目にすることは出来ませんでした。

人生50年と言われていた時代に、50歳から好奇心で、夢に挑む。
それから17年間諦めずに夢を追い続ける。何と素晴らしい人生。

こんな日本人がいたことを誇りに思います。
好奇心を持つこと夢を持つこと夢を追うことの素晴らしさに感動します。
そして、こんな落語を作って演じてくれた志の輔さんに感謝です。

志の輔さん、64歳。
体力がなくなってきたようなことをゆうてはりましたが、落語家としてはええ年代で円熟の境地に入り、みんなに笑いと感動を届けてくれるよう願っています。

人生、まだまだ夢なかば。

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