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備前~播州路 サイクリング [サイクリング]

2012年3月22日(木)曇

以前から行ってみたかった旧閑谷学校に、日帰りサイクリングで行くことに。
2年5ヶ月ぶりのサイクリングです。
自走するには遠いので、折りたたみ自転車のDAHONで輪行していきます。

JR加島駅から尼崎、姫路、相生と乗り換えて、吉永駅に10時過ぎに到着。
運賃は、春の関西1デイパスを利用して2900円+上郡~吉永間の320円です。1デイパスは利用区間は限られますが、1日乗り放題券で、これで帰りも輪行します。

天気予報では、降水確率0%晴となっていたのですが、曇っています。
雨男ぶりが、どうも続いています。

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吉永駅から3kmほど走って、旧閑谷学校に到着。
校門です。外側から見たところです。梅が綺麗に咲いています。

入場料は300円。受付で、ガイドテープの無料貸し出しがあったので、借りました。

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右側が閑谷神社です。
閑谷学校の創設者である岡山藩主池田光政を祀るために貞享三年(1686年)に建てられたものです。もとは光政の諡(おくりな)にちなんで芳烈祠、または西の聖廟に対して東御堂といわれました。

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神社の西側には、聖廟があります。
儒学の始祖孔子を祀っており、孔子廟または西御堂ともいいます。
先生を上に置くために、神社より高い位置に建てられています。
聖廟の前に植えられているのは、楷の木です。中国曲阜の孔子の墓所にある楷樹の種を大正4年に持ち帰り、林業試験場で苗にして移植したものです。

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講堂です。
元禄十四年(1701年)の完成で内部は十本の円柱に囲まれた内室と、その周囲の入側からなり外廻りを広縁でとりまいています。材料の吟味と施工が入念になされており、今日に至るまで一分の狂いもみられません。立派な佇まいです。

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内堂には入ることが出来ません。
花頭窓から入る光が漆塗りの床に反射して綺麗です。
ここで勉強するのは、喜びでもあり希望でもあったんやろなぁと想像します。

閑谷学校は、今をさかのぼること約340年。時代は封建制度の真っ只中、武士による厳しい民衆支配が行われていた頃の事です。なんとこの時代に日本最古の庶民学校が築かれました。閑谷学校の歴史は、寛文6年(1666年)に備前藩主池田光政公が国内巡視をして、静寂な山ふところに学問の理想郷を思い描いたことに始まります。同8年に光政公はこの地に手習所を設置、ついで同10年には重臣津田永忠によって本格的な学校建設が始まりました。

日本の国宝建造物のほとんどが寺社建築で占められている中、この旧閑谷学校講堂は唯一国宝に指定されている学校建築です。

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内堂に飾られている書は、五代藩主、治政の書で「克明徳」です。
儒教の教本「大学」なかの綱領「康詰曰克明徳」からとったものです。
「克」の字は「勝」といふ字に通じて、誠に戦によって人に勝つように、心の利欲・汚穢(けがれ)に勝ち、これを去り、己が徳を明にすべしとの意だそうです。

講堂の屋根にも工夫が凝らされています。
野地板の上に柿葺をして、その上に幅33cm厚さ訳cmの流し板を葺きおろし、その上に備前焼きの瓦を空葺にしています。

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また軒先の瓦受けに丸い備前焼のパイプを取り付けていて、万一雨漏りがあってもこのパイプから流し出すための工夫であり、また結露防止機能もあります。しかも瓦受けと流し板の間には、漆止めにして腐食防止、漏水防止もしています。この様な構造を持つ建造物は全国にも例を見ないといわれています。

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講堂のそばには、飲室(休憩室)があります。
部屋の中央には炉があります。炉のふちには、「斯爐中炭火之外不許薪火」(この囲炉裏で炭以外を炊くな)と掘り込まれていて、火の使用には厳重な注意が払われていました。

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火除け山です。
この山の西側に学舎や学房(寄宿舎)などがあり、そこからの出火が講堂などに及ばないようにするため、防火の目的でつくられた人工の山です。この山のおかげで実際に火事から守られました。

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石塀です。
閑谷学校の施設をすべて囲み全長765mにもおよんでいます。石組みが綺麗です。
河内屋治兵衛を棟梁とする石工集団によって築かれたもので「切り込み接ぎ式」の工法が用いられており、元禄十四年(1701年)に完成しました。内部には洗浄した割栗石をつめて排水を助けており、そのおかげで草や苔が生えないようになっています。

火除け山の西側には、資料館があります。
閑谷学校は世界遺産登録を目指していて、署名を募っていました。世界遺産にふさわしいと思って署名したのですが、資料館は蛍光灯が切れているところが沢山あって、これではあかんのんちゃうんと、唯一残念に思いました。

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学校から500mほど離れたところに黄葉亭があります。
文化十年(1813年)、武元君立・有吉行蔵,両教授によって建てられた休憩所です。
来訪した頼山陽や管茶山もここで茶を楽しみ酒を汲み交わしたそうです。頼山陽に「黄葉亭記」があるそうです。

さて、サイクリングに戻って日生の町を目指して走ります。
南下して国道250線を走りますが、交通量が多くて大型トラックが多いので、サイクリングとしては、つまらないです。

ほどなく日生に到着。
ここでの目的は、カキオコです。

カキオコとは、牡蠣が入ったお好み焼きです。
日生のお好み焼きは、広島と関西の中間のようなお好み焼きです。今年、姫路で行われたB1グランプリでは9位になったものです。

牡蠣のシーズンは冬場です。
シーズンを過ぎたら、休業する店もあります。シーズン外で開いている店は冷凍牡蠣を使っての営業です。だいたい3月いっぱいくらいで牡蠣のシーズンは終了です。

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焼きあがりました。カキオコです。料金は900円なりです。
カキがジューシーで美味しいのですが、お好み焼きが生焼けでした。お好み焼きとしてみたら、残念としかいいようがないです。常連客の人はカキオコではなく、裏メニューの牡蠣とネギを焼いたものを食べてはりました。純粋に牡蠣を味わうなら、そっちのほうがええかもしれません。

中には、俺、牡蠣嫌いやねんとゆうお客さんもいてはりました。
まあ、お好み焼き屋さんですから、ええんですけど・・・。なんか違和感が・・・。

お腹がいっぱいになったところで、瀬戸内の海を眺めながら走ります。
晴れていれば海の眺めがいいのでしょうが、曇っていて景色はイマイチです。

忠臣蔵で有名な播州赤穂に着きました。
忠臣蔵には、ほとんど興味がないですが、時間も早いので、ちょいと観光です。

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赤穂大石神社です。
四十七義士の石像がたっています。ガイドさんを伴っての団体さんもいてはりました。忠臣蔵ファンには、たまらない聖地なんでしょうね。

四十七義士が1年10ヶ月の間苦労を重ねお殿様の仇を討ったことにより「大願成就」「心願成就」の神とし人気があるそうです。

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大石内蔵助です。

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赤穂城址の本丸門です。
慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城だそうです。この中は自転車乗り入れ禁止です。

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観光を済ませて、JR播州赤穂駅から輪行で帰ります。
15時過ぎと早い時間帯だったのですが、乗客が多くて大阪までずっと立ちっぱなしでした。

大阪から片道2時間くらいかかるので、ほんの短いサイクリングでしたが、なかなか楽しいサイクリングでした。これで天気がよかったらなぁ~。晴れ男パワーを取り戻したいです。

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