SSブログ

ソウル [海外旅行]

10月末で退職が完了し、完全なる失業生活に戻りました。
慰労旅行とゆう事で、ソウルに11月2日から11月7日まで個人旅行で行って来ました。

11月2日の夜に仁川国際空港に着きましたが、
気温が1℃とものすごく寒かったです。

11月3日。
今年の春にソウルに1日だけ来ましたが、
古宮がよかったのと、春に桜を見たので今度は紅葉と思って来ました。

この日は地元のツアーを利用して、
DMZ&板門店(JSA)のツアーに参加しました。

DSC00010.JPG
先ず最初に訪れたのは、自由の橋です。
1953年7月27日休戦協定締結後12,773名の捕虜がこの橋を渡り、
完全に自由の身になったことから自由の橋と呼ばれています。
この橋の先には都羅山駅があり、さらにその先は北朝鮮です。

DSC00029.JPG
トラ展望台です。写っている風景は北朝鮮です。
望遠鏡があり、500ウォン玉を入れて約3分ほど、
北朝鮮の街並みを眺めることができます。
写真を取ることが出来るのは、数メートル手前の所までです。

DSC00054.JPG
板門店です。ここに入る前に、宣言書を書かされました。
何事が起こっても責任は負わない事に対する同意書です。
テーブルの上にある印が、韓国と北朝鮮の国境です。
板門店の中には、両国の兵士が向き合って立っています。
両者ともサングラスをかけていますが、以前目を見てもみ合った事があり、
それ以降サングラスをかけるようになったそうです。

帰国した後に、北朝鮮と韓国で銃撃戦があり、
平和はまだまだ遠いなと思いました。

11月4日。
この日は、古宮巡りです。

DSC00071.JPG
徳寿宮(トクスグン)です。無料の日本語ガイドと一緒に回りました。
1902年に建立された徳寿宮の正殿、中和殿です。

DSC00080.JPG
静観軒(チョングァンホン)です。
1900年に建立され、王宮の中に建立された最初の西洋式建物です。
韓式と洋式の韓洋折衷になっていて、美しい建物です。

DSC00092.JPG
石造殿(ソクチョジョン)です。
1910年に完工した地上3階、延べ面積1,247坪の、御影石でできた石造建物です。
外観は19世紀初めにヨーロッパで流行した新古典主義様式です。
修復中だったのが、少し残念でした。

DSC00110.JPG
徳寿宮から歩いて移動です。
少し時期が遅かったですが、街中の銀杏が美しいです。

DSC00116.JPG
慶煕宮(キョンヒグン)の崇政殿です。
ここは、李氏朝鮮の太祖・李成桂の家があったといわれるところです。
訪れる人も少なく、ひっそりとしていました。

DSC00184.JPG
景福宮(キョンボックン)の勤政門(クンジョンムン)です。
ソウル市内にある5大王宮の中でも12万6337坪と最も規模が大きく、
また建築美に優れた宮殿と評価されています。
ここも、日本語無料ガイドと一緒に回りました。

DSC00173青瓦台.JPG
青瓦台(チョンワデ)、大統領官邸です。
景福宮(キョンボックン)の北に抜けた所にあります。

DSC00234.JPG
この夜は、ソウルシティツアーバスを利用して夜景を見に行きました。
Nソウルタワーの展望台から見た夜景です。

11月5日。
DSC00256.JPG
南山コル韓屋村です。
李氏朝鮮時代に詩人や墨客が多く住んでいた南山エリアに、
ソウルの貴族の屋敷や一般市民の伝統的な家屋など5棟を、
移築&復元して造られたところです。
この日は、韓国の昔の遊びなども紹介していて興味深かったです。

DSC00278.JPG
安重根義士記念館です。
安重根(アンジュングン)は韓国の英雄です。
安重根は、日本の初代総理大臣、伊藤博文を、
旧満州地方のハルピン駅で1909年10月26日に射殺した人物です。
安重根は暗殺は、韓国独立戦争の一部だと捉えています。
館内では、ビデオ上映もありました。
日本と韓国の深い因縁を感じました。

DSC00297.JPG
宗廟です。
前回カメラに収まりきらなかったので、パノラマで撮影してみました。
扉が開いているのは、珍しいです。

DSC00307.JPG
昌慶宮(チャンギョングン)の明政門(ミョンジョンムン)です。
1484年に第9代王・成宗(ソンジョン)が、祖母・貞熹王后(チョンヒワンフ)、
生母・昭恵王后(ソヘワンフ)、養母・安順王后(アンスンワンフ)の3人が
住むための別宮として再建し、名前も現在の昌慶宮となったそうです。
他の古宮と大きく違うところは、門が東向きになっています。(他は全て南向き)
また、門と建物をずらして建て外から中が見えないようにしています。
ここも、日本語無料ガイドを利用させてもらいました。

DSC00340.JPG
紅葉が綺麗です。

DSC00351.JPG
その後、北村(ブッチョン)韓屋村をぶらぶらと歩きました。
ここは、ソウルで唯一、韓国の伝統家屋である韓屋(ハンオッ)が残る地区です。

DSC00372.JPG
雲峴宮 (ウニョングン)です。
ここは、李氏朝鮮時代末期、改革派の政治家として多大な影響をもたらした
興宣大院君(フンソンデウォングン)の私邸であり、
第26代王・高宗(コジョン)が即位するまでの少年時代を過ごした場所です。

11月6日。
DSC00403.JPG
韓国仏教の最大宗派である大韓仏教曹渓宗の総本山です。
熱心な信者が沢山お参りしていました。

DSC00407.JPG
タプコル公園です。
ここは、日本による韓国併合(1910年)のあと、
日本からの独立運動(三・一独立運動)が朝鮮半島全土で起こりました。
1919年3月1日、その最初の行動が起こった地点がここでした。
今は、地元の人がのんびりと過ごしていました。

DSC00445.JPG
東大門です。
朝鮮時代に城郭の東側を守っていた門であり、
正式な名前は興仁之門といいます。
立派な門です。

DSC00490.JPG
独立門(トンニッムン)です。
1897年、韓国が西欧列強と同じ自主独立国家であることを
国内外に宣布するために建てられました。
韓国初の西洋式建物で、フランスの凱旋門をモデルにしています。

DSC00484.JPG
西大門刑務所歴史館(ソデムンヒョンムソヨクサグァン)です。
大韓帝国末期の1908年、日本政府により建設された京城監獄が最初です。
西大門刑務所という名称になったのは1923年。
以来、この地は80年以上に渡り、韓国の歴史を象徴する、民族の受難の現場となりました。
中には、人形を使ったや拷問場面があったり、女性のうめき声までがテープで流されています。
神経の細い人は気分が悪くなるんじゃないかと思うほどです。
韓国の人達がこんな状況を見ていたら、反日感情が生まれるのも当然とも思えます。

DSC00494.JPG
柳寛順(ユ・グァンスン)記念館です。
柳寛順は、韓国のジャンヌ・ダルクとも呼ばれていて、三・一運動に参加し、
4月1日午後1時に天安郡並川のアウネ市場で約3000名が集まった万歳運動に参加しました。
柳寛順は逮捕され、懲役3年の判決を受け西大門刑務所に移送されました。
その後、独房生活の中で拷問などで健康を害し、
1920年10月12日午前8時、西大門刑務所内で獄死しまた。(享年18歳)
合掌。

DSC00512.JPG
チョンゲチョン(清渓川) を散策しました。
2005年10月1日にソウルの市庁近くから始めて、
漢江へ流れて行く清渓川が新しく開通しました。
それまでは、どぶ川となっていて誰も近寄らなかったそうです。

DSC00531.JPG
ソウル最後の夜は、NANTAを楽しみました。
「NANTA」とは韓国初のノンバーバルパフォーマンス(セリフのない劇)です。
ストーリーは4人のコックさんが時間内に結婚披露宴の料理を作りあげる、
といういたって単純なもの。
食器からはじまって、野菜、鍋、まな板、包丁、ボウル、ゴミ箱、
厨房にあるもの全てが楽器に変身してしまいます。
お客さんをいじったりするところもあり、韓国語が分からなくても充分楽しかったです。


今回のソウルの旅は、古宮の美しさに魅せられたり、
韓国の古い街並みを眺めたり、紅葉を楽しんだり、
韓国の歴史に触れたり、と有意義な旅になりました。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。